切附本瞥見 −岳亭定岡の二作について−
高 木  元 

末期の中本型読本が「切附本」と呼ばれる粗製廉価な小冊子であり、安政期を中心に濫造されたものであることは、既に幾度か述べて来た。個々の作品について、文学的価値を云々する程のものとは思われないが、少しばかりの研究意義は見い出せるものと思われる。

切附本の中には〈抄録物〉とでも呼ぶべき、先行する読本や合巻のダイジェストが見られる。これらは同時期の合巻にも見られるものだが、単に趣向枯渇期に於ける衰退現象とばかりも言いきれない。

ここに岳亭梁左の『執讐海士漁船』(芳春画、刊年不明、外題は『天竺徳兵衛一代記』、向井信夫氏蔵)という切附本がある。実は、挿絵を眺めるだけで京伝の合巻『敵討天竺徳兵衛』(豊国画、文化5〈1808〉年)の抄録物であることが分かるのだが、読んでいくと登場人物名などが改変されていることに気付く。さらに、天竺徳兵衛の出自を純友の末流とはせずに、原話には見られなかった細川浪六の復讐譚を組み込んでいる。また、やや怪異性も薄められ、むしろ因果律を整えようとする意図が強く働いているようだ。部分的な趣向でも〈堀川猿廻しの段〉を利用した箇所を〈水木辰之助舞扇遊里通住吉〉の趣きに変えている。一応それなりに、作品構成にも手を加えているのである。勿論、かかる改変を、直ちに文学的営為とは言い難い。だがしかし、単に筋を紹介しただけの作品だとも言えないのである。

一方、岳亭春信遺稿とする『神稲徳次郎/木鼠孝蔵・武勇水滸伝』(芳春画、万延2〈1861〉年序、改印は「戌四(文久2〈1862〉年4月)」と裏返しに刻印、外題は『神刀徳次郎一代記』、吉沢英明氏蔵)は、『八犬伝』より長編化して、未完のままで終わった御存知『俊傑神稲水滸伝』の抄録。

師翁岳亭定岡神稲徳次郎鼠小僧主を始めとして権賊108人をあはせ俊傑神稲水滸伝と題せしは編を次て数をかさね今亦書肆の好とて予に徳次郎の伝を撰と索に筆を取やへす七尺さつて師の影をわすかに因み燈火を挑げながらに雑書をひらき諸こくの疑團を集合せりされとも國々の物がたりにいたりてさらに虚せつをまじへず見る人作者の空言としたもうな
 萬延ふたとせ太郎月
東都忍川市隱 春信筆記 印

と2世の岳亭春信が序を記して、岳亭定岡のことを「師翁」と呼ぶ。

この序文に記された年月に拠れば、従来不明であった岳亭定岡の没年は、あるいは万延2〈1861〉年1月(万延2年2月19日改元、文久元年)から、それ程遡らない頃ではなかったかと推察し得るのである。

切附本は、従来は全く顧みられることがなかった反古同然の小冊子である。しかし、ひとわたり調べてみただけであるが、以上見てきたように、幾らかの資料的価値を見出だすことは出来るのである。

【附記】貴重な御架蔵の資料を拝見させて頂いた向井信夫氏と吉沢英明氏とに心より御礼申し上げます。


# 「近世部会会報」8号(日文協近世部会、1986夏) 所収
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