板本から活字へ(講演)
高 木  元

 わが国における「書誌学」が、たとえ誤訳に由来するものであったとしても(山下浩「[学会報告]「日本近代書誌学」を成立させるために(第一回)」、「言語文化論集」46、1998年1月)、実態的には図書学・図書館学の一部として体系化されてきた歴史がある。所謂「形態書誌学」のみならず、モノとしての書物のありようを言葉で記述するために、深遠な知見が積重ねられてきたことは、決して誰にも否定できないだろう。その結果、個々の書物の実態は「分類」「書目」「年表」という形で整理されて体系化された情報として提供されている。
 尤も、写本に始まり古活字本から板本(整版本)〔敢えて板木を用いて作成されたことを示す場合は「板」を使って「出板」「板本」「板木」などと表記し、一般的な「版」と区別して書くことにしている。〕へというメディアの変遷過程においては、圧倒的に板本以前に関する研究(文献学)が多かった。そして板本も主として漢籍関係の書誌学が先行していたのである。だが、近年になってやっと板本書誌学の体系化に先鞭が付けられた(中野三敏『書誌学談義・江戸の板本』、岩波書店、1995)。それでも、板本の場合にはジャンルごとに異なった知見の蓄積が不可欠であり、人情本などは誰の手にも負えずに放置されている。つまり、板本全般となると、いまだ充分に深化されているとはいえないのが実状である〔例えば、滑稽本については中村幸彦「滑稽本の書誌」(「ビブリア」83、1984)が、読本については高木元「読本の書誌について」(『読本研究』第4輯上套、渓水社、1990)が備わる。斯様なそれぞれのジャンルに特化したマニュアルの整備が望まれる。〕。
 いずれにせよ、書誌学は国文学(とりわけ古典文学)に携わる者にとって、避けて通れない基礎学であった。しかし、日本文学(とりわけ近代文学)の分野では、モノとしての書物に対する研究は等閑に付されてきたようだ。近年になってやっと活字本に関する書誌の問題として俎上にのぼってきた(青木稔弥「尊敬される書誌とは何か」、「日本近代文学」49、1993年10月)。近い将来にはモノとしては実態のない電子本(機械可読テキスト)における「書誌学」にも取組まなければなくなるはずである。しかし、対象とする時代やメディアが違っても、書誌学の基本的な役目は、一つひとつの書物を相対化して時間軸上に位置付けて行く作業の積重ねにあり、そこでは確かな問題意識に支えられた豊富な経験に基づく主観的な判断が不可欠になるはずである。
 ところで、ただちに本文研究に直結しないかに見える日本の「書誌学」は、低レベルな批評的学問に対する図書学派の矜恃とも理解される。が、もとより「文学研究のための補助学」などという物言いは書誌学に対して僭越至極である。何故なら、書誌学自体が奥行きの深い完結した学問体系を持っているからである。モノとしての書物には、書誌学者が見ないと到底発見不能な諸問題が秘められているからである。
 したがって、国文学研究資料館のプロジェクトから発展したと思われる『日本古典籍書誌学辞典』(岩波書店)の企画も、大勢の国文学者の分担執筆によって進められているが、見識ある書誌学者によって全体が体系化されないと、無用な混乱を起してしまうのではないかと危惧される。

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 近世文学研究における書誌学の位置は、少しづつ変わってきているように思われる。
 板本の書誌学的吟味は、基本的には現存本の諸本研究につきるわけであるが、これを通じて様々な問題を発見することができる。作者の手になった種本は検閲され校合を経て摺られ製本されて発兌される。時に貸本屋を通して流通した書物は、やがて一部を手抜きして後摺されたり、板木が他の板元に売られた結果として改題されたりして、さらに異なった板や摺りのテキストが流通する。評判が良ければ他ジャンルに移植されたり、演劇の種本になったりすることもある。斯様な流行性の商品の常として、残存している多くのテキストは粗悪な後摺本が多いわけである。基本的に、著作権がなかった時代ゆえ「作者」の意図が直接反映していると思しき板は初板初摺本に限られると思われるから、今までの書誌学的研究では取敢えず初板本捜しが目的であった〔近世小説における底本選びは、本文というよりは、寧ろ挿絵に初摺本の特徴を求める場合が多いかもしれない。後摺本になると重摺りの技法を省いた本が多いからである。〕。
 近世が出板の時代だといわれて久しいが、具体的な書物の物理的状態の記述から出発した書誌学は、印刷製本術や表紙の具合など具体的な本作りの技術に対する興味から、板元の位置や分業体勢の仕組みなどという出板の問題に出会い、さらに出板物のみならず写本の流通を媒介した貸本屋の業態に関する研究へと展開してきた。すなわち、作者や板元という供給側に関する問題から、享受のありように関わる流通の問題へと広がってきた。そして、一旦享受史の側に立てば流布しているテキストの諸相こそが問題になるから、当然の帰結として、書誌調査は初板本探求に留まらず後摺本や改修板・再板などへと広がり、さらに明治期以降の活字本翻刻本に関する調査も欠かすことができなくなってきた(高木元「〈読本研究の五十年と今後〉書誌」、『読本研究』第9輯、渓水社、1995)
 このようにして、出板研究は、必要以上に神格化されてきた「作者」の位置の相対化を促し、「作品」とは紛れもなく一商品に過ぎないという観点から、徹底的に流布相を明らかにした上で、改めて作者や板元の個性の問題を冷静に論ずる必要があることを認識させた(高木元「江戸読本の成立」「江戸読本享受史の一断面−明治大正期の翻刻本について」、『江戸読本の研究 −十九世紀小説様式攷−』、ぺりかん社、1995)。それは、先験的な価値を幻想させる〈文学〉なるものの研究から、書物をめぐる〈文化〉状況に対する研究へと、興味が変質してきたといっても良いかもしれない。
 したがって、現在は簡単に「書誌学」とはいっても、書物をめぐる問題の周縁、とりわけ出板流通享受に関る研究などとも関連を持ちつつある。とりわけ近世については広い視野と研究の展望を切拓く指針となり得る研究文献目録が整備され、その全貌が見渡せるようになった(鈴木俊幸『近世書籍研究文献目録』、ぺりかん社、1997)。この目録は、現在までの研究史では作者や版元という書物を供給する側からの研究に終始し、享受の側からの視座が欠落していること、所謂文学書以外の実用書や摺りもの、さらには出板を経ないで流通していた写本などを顧みてこなかったことなどの問題を先鋭に提起している。
 また、最近幾つかの雑誌で「出版」が特集されたが〔「江戸文学」15・16号〈江戸の出版I・II〉、ぺりかん社、1996。「國文學」42-11〈近世の出版−本屋と作者−〉、學燈社、1997年9月。「本とコンピュータ」2号〈電子出版は未来を開くか?〉、トランスアート、1997秋。「文学」9-1〈出版文化としての近代文学〉、岩波書店・1998冬など。〕、各誌の目次や構成を見ると、昨今の研究状況に対する編集企画者の認識具合(低度)が良く分かる。

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 近代文学においては、全集の底本選定と云う問題が本文研究の当面の課題のようだが、近世文学においては板本の本文に関しての問題は余り深刻ではないかもしれない。たしかに板本は入木(象嵌)による修訂が容易であり、現に改修された本も少なくないが、本文に関するかぎり明治十年頃まで(紙型が用いられるようになったのは明治九年頃か、正確には未調査。)の活版に見られるほどの著しい異同はないからである。
 ただ、稿本と板本(初摺本)とに異同が存する場合は、検閲による本文改修の疑いがあり、厳密に調べてみる必要がある。とりわけ、天保末年の改革前後は注意を要する。本文のみならず、挿絵の役者似顔絵が削られて直されたりするように、表紙絵や挿絵には見るも無残な(自主)規制の痕跡が見て取れる(これは、どう考えても「作者」の〈意図〉からも遠く隔たったものである。)。また、上方と江戸とでは規制の程度が相違しており、比較的規制の緩かった上方出来の読本を江戸で売る場合には色板が省かれたりし、場合によっては書名の改変すら行われていた(佐藤悟「読本の検閲」、『読本研究』第六輯、渓水社、1992)
 研究に用いるテキストとしての底本は、諸本書誌調査の結果に基づいて適切な善本を底本として選べば良いのであるが、影印本の底本に用いる場合は保存状態や落書の有無なども問題になり、一概に一番早い摺りの本が写真原稿に適するとは限らない。ことは影印本に限らず、完璧な一本が残存することは稀であるから、翻刻する場合でも同様の問題が存し、破れや掠れなどの不鮮明な部分は摺りの遅い他本から補う必要が出てくる。その際、後摺本に改変が加えてられないか、改刻(覆刻)本ではないかの吟味が必要になる。近世期は火災が多く、焼けてしまった板木だけを部分的に再刻(覆刻)したり、再板に際して編成を替えたり、流行らなくなった挿絵の画風を嫌って挿絵だけ描き直して再刻した異板などが存するからである。
 また、仮名遣いは当然として、句読点や濁点などにも統一的な規範意識が稀薄で、登場人物の表記が無節操に変わることも珍しくない(ひどいものは、死んだはずの登場人物が再び出てきてしまったりする。)。したがって、校訂者は可能な限り本文には手を入れずに翻刻するか、もしくは、現代の読者に読みやすい本文を提供するために、厳密さを捨てて、常用漢字を用いて句読点や会話の括弧を補ったりするという凡例をたてることが多いのである。ただし、草双紙は絵が重要なので原本の写真を可能な限り大きく掲げた上で、翻刻には適宜漢字を宛てることが普通になっている。
 造本工程から考えれば、稿本を筆耕が清書して板下を作成し、彫工が板を彫り、校合を経てから製品になるわけであるから、筆耕や彫りの過程での誤りや、校正洩れなどの不都合が考えられる。活版における編集者による原稿整理やリライト、また文選植字のプロセスとは異なり、基本的には作者の制御下で造本されると考えてよいように思われる。ただし、筆まめな馬琴以外の作者の場合、果たしてどの程度造本に関与していたかは資料に乏しく、むしろ作者の関与を離れて粗製乱造された地本も多かったものと思われる(「八犬伝第九輯中帙附言」参照。)。つまり、読捨てられた流行性商品としての近世通俗小説における本文は、かなりいい加減なものと考えておいた方が無難で、厳密な意味で作者の意図した本文の復元など不可能だし、あまり意味を持たないかもしれない。
 一方で、幕府の禁忌に触れるような内容を持つ実録体小説などは、板本として出板できずに写本で流布した。これら写本は、近世以前の語りものや『平家物語』などのように、多くの異本群が流布しているので、現存本の叙述の疎密や挿話の有無などを詳しく検討する必要がある。これら浮遊するテキストには、固定すべき正しい本文などはあり得ず、まして「作者の意図」を復元することは不可能である。板本の時代と呼ばれた近世期に、一方で写本が確実に商品価値を保持して貸本屋を媒介して流布していたことは注目に値する。さらに重要なのは、これら近世期には出板不可能だったテキスト群が、明治十年の半ば頃、活版印刷技術が成熟した後に榮泉社版「今古実録シリーズ」などとして大量に翻刻されて出版されたことである。
 活版印刷の揺籃期である明治五年頃からボール表紙本の出版が確認されているが、同時に和装の活字本の形でも近世小説が大量に翻刻出版されている。これらの現象は、新しいメディアに拠って供給すべきテキスト(商品)の不足を補うものと考えて良いだろう。また、気になるのは俗に「赤本」と呼ばれた速記本講談小説である。こちらは高座での語りを髣髴とさせる口語体で記された実録体小説種の読み物である(高木元「意味としての体裁」、『江戸読本の研究 −十九世紀小説様式攷−』、ぺりかん社、1995)

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 わが国の十九世紀小説を質量ともに代表する江戸読本、その魅力は伝奇的な起伏に富んだ筋の運びだけではなく装幀や挿絵にも存する。味気ない縹色無地表紙で、いかにも書物然として流布していた十八世紀の浮世草子や前期上方読本に対して、江戸読本は次第に色摺りで華やかな意匠を凝した表紙を持つに到る。袋こそあっさりとした文字だけのものが多かったと思われるが、見返にはさり気なく内容に則した飾り枠などを用い、繍像には主な登場人物を描いてその運命を暗示する賛が入れてある。多くは漢文序を備え、目録は章回体小説に擬した独特の様式を持ち、さらに本文中には時に刺戟的な画柄の挿絵が入れられていた。
 斯様な江戸読本の気取った華やかさは、読者に対する本自体の自己主張として意識的に造本された結果である。ひとたび手にとってみると、重ね摺りを施した華麗な口絵は展開を暗示し、目録は大まかな筋を示し、さらに挿絵に一瞥を加えると、もう読まずには居られなくなる、という具合に本が造られているのである。きわめて単純化してしまえば、同時期の草双紙が絵外題簽から錦絵風摺付表紙に移行していったように、商品としての魅力を持たせるための所為と見做せるかもしれない。
 しかし、作品内容と体裁とが不可分な関わりを持ちつつ各ジャンルを形成していた近世文芸にあって、比較的格調高く堅い雰囲気を保持しようとした江戸読本が、何故に派手な装いを持つに到ったのであろうか。おそらく〈読本〉という名称とは裏腹に、単に筋を読むだけのものから、次第に口絵や挿絵という視覚的な要素の比重が増し、現代の読者たちと同様に、モノとしての本自体の美しさをも愛玩するように成ったからであろう。本というモノは本質的に手で弄んで読むものであり、単に文字列が記されていれば良いという実用品ではないのである。
 近世文芸が様式性を強く保持していたことは周知の通りである。大本半紙本中本という書物のサイズや仮名漢字片仮名という表記の使い分けは、その内容を反映し、かつ規定もしていた。ところが、江戸読本においては、板型はもちろんのこと、行数や字詰めというレイアウト、匡郭の有無、句読点の有無、基本的には総傍訓であった漢字の左側にわざわざ意味を付したり、本文の中途で二行細字の割注を入れたり、時には頭注を付け加えたりして、学問書の板面を真似たりした。
 また、序文だけ院本風の板面を持ったり、道行きの場面に浄瑠璃本書体が用いられたりする例も見られる。谷峯藏氏は「各職域独特の書体書法を索定、それらを各自に自己職域のロゴタイプ、またタイプフェイスに固定している」(谷峯藏『日本レタリング史』、岩崎美術社、1992)と述べており、江戸文字という構成書体(タイポグラフィ)に総括されている書体書法の独自性を、その社会的アイデンティティの主張として捉えている。この視点は、はなはだ示唆的で、近世小説が各ジャンルごとに異なる印刷書体(タイプフェイス)を持っていたことの意味を、そのジャンルの独自性の主張、もしくは、そのジャンルへの帰属意識の表現として捉えることができる。つまり、江戸読本における引用の織物(インターテクスチュアリティ)としての浄瑠璃を、板面(テキスト)上で顕在化させていると見ることができるのである。
 一方、繍像や挿絵もその魅力の一端を担っていたが、本文を囲う匡郭の上部数丁にわたって陰火が飛んでいく絵が描き添えられたり、本文の一部に挿絵が入り込んだり、場合によっては本文の上から朱摺りで絵が加えられたりもする。このように、江戸読本は視覚的享受を期待して、文字と絵とが融合された板面(テキスト)を持っているのである。それゆえ、ピクチャレスクに関する議論が江戸小説におよぶ場合(高山宏『黒に染める − 本朝ビクチャレスク事始め』、ありな書房、1994。高山宏編『江戸の切口』、丸善ブックス1、1994など。)、対象化されるのは本文の文字列だけではなく、タイプフェイスや本文のレイアウトなど板面全体なのである(府川充男『組版原論』、太田出版、1996。西野嘉章編『歴史の文字』、東京大学総合研究図書館、1996など。)
 ただし、これら板面(テキスト)に刻まれた情報は原本につかなければ得られない。活字翻刻本は当然のこと、たとえ影印本であっても、色摺りの部分がわからなくなったり、落書と印字との識別が不能になったりする。つまり、写本板本活版本というメディアの変換に伴って、必ず何らかの情報が欠落し、かつ別の情報が付け加えられるのである。たとえば、活字本では板本『雨月物語』と写本『春雨物語』の区別はつかない。
 草双紙における書式について水野稔氏は「男女の見染めと契り、強悪人の横恋慕から殺害、宝物の紛失、悪人の惨虐の累加、孝子の受難、密通と悪計、怨念と執念と怪異、亡霊の告げと冥助、敵の遊蕩、討手の辛苦、仇討本望の成就、紛失の宝物出現、家中の陰謀の暴露、誅罰、肉親の不測の邂逅、婚姻と大団円」(水野稔「京伝合巻の研究序説」、『江戸小説論叢』、中央公論社、1974)と指摘しているが、江戸読本の場合も同様である。もちろん、演劇の分担執筆を可能にしている〈世界〉に依拠している部分も大きく、それを含めた書式と考えてよい。
 したがって、江戸読本というジャンルを構成しているのは、じつはその形式的体裁にほかならなかったのであり、決して内容ではなかった。多くの読者たちが読んだのは、たとえば勧懲などという主題ではなくて、その書式(フォーマット)そのものだったからである(ロジェ・シャルチェ『書物の秩序』、長谷川輝夫訳、文化科学高等研究院、1993)。この本は VHS版のビデオカセットかと見紛う半透明のプラスチックケースに入れられており、そのありよう自体が体裁と中身の問題を顕在化している。)。
 流通(コミュニケーション)が書物(メディア)の持つ機能であるとすれば、商品価値こそがメディアとして機能している書物の実態である。すなわち書物がメディアたりうるとすれば、それは商品価値を持つからにほかならない(高木元「江戸読本の新刊予告と〈作者〉−テキストフォーマット論覚書−」、「日本文学」43-10、日文協、1994)



# 日本近代書誌学協会「会報」第4号(1998/8/20)所収
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#               千葉大学文学部 高木 元  tgen@fumikura.net
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