【明治出版雑識◆第19回】

 江戸読本の後摺本と活版本

高 木  元 

近世期に板本として出板された江戸読本やその周辺ジャンルの本は、明治の半ば過ぎに及ぶまで後摺本が発行され続けていた。現存している大部分の板本は、これら幕末から明治初期にかけて刊行された後摺本である。そのせいか読本研究の主眼は初板初摺本の探求に精力が注がれてきた。

一般に問題の本質は始源に存すると見做す傾向が強く、研究意義をそこに見出すことが多い。しかし、書誌学的研究は、初板初摺本の探求へ向けた遡源的な方向へ進めるだけでよいとは思えない。享受史の側から発想してみると、江戸時代に板本を手にした読者の多くは初摺本で読んだわけではなく、その後の大多数の読者たちも後摺本に拠って読書生活を営んでいたことに思い至るからである。

具体的に『南総里見八犬伝』を例にして考えてみれば、刊行され続けていた28年間にわたって、初摺本だけで読み通すことが出来た読者は、ごく少数に限られていたものと思われる。大部分の読者が利用した貸本屋でさえ、様々な摺りの本を取り合わせて揃えていたはずで、初摺本だけの揃いを備えていた業者は、さほど多くはなかったであろう。なぜなら、板元が変わった時は当然として、次編が出る度に既刊分の増し摺りが行われており、出板直後に購入しないかぎりは取り合わせ本になってしまうからである。

すでに周知のことではあるが、近世期の出板事情を振り返ってみる。文化年間に江戸読本の隆興を創出したのは当時の貸本屋たちであった。彼等は零細な流通業者ではあったが、一番読者に近いところに位置していたため、流行を容易に察知できた。そこで、貸本屋の商品としては一番価値の高い新作読本について、筋や趣向などの企画から作者や画工の選定に至るまでの読本出板に関わるプロデュースをしたのである。しかし、主たる買い手である貸本屋たちに行き渡る程度の数が摺られた板木は、次の出板の資金繰りのために別の板元に売られることが多かった。新たに板木を手にした板元は、時にはそのまま摺ることもあるが、通常は摺りの作業工程を減らすために重ね摺り用の色板を省略したり、見料を稼ぐために分冊して冊数を増やしたりもした。また、初摺から時間を経たものは、時流に即して、序跋を差し替えたり挿絵を彫り直したりする。また単に改竄を加えるのみならず、別の本を装うために改題本に仕立て直したりもした。ひどい場合は、板本を板下作成に用いた覆刻おつかぶせによる再刻本を勝手に出板する板元すら存在したのである。その上、厄介なことに、現存するこれらの後摺本がまったく同じ本であることは、ごく稀なのである。表紙の違いや大きさの相違、口絵や挿絵の色板使用の程度、広告の有無や刊記の象嵌、摺った後の貼紙による訂正など、〈板〉の相違だけでなく〈摺り〉ごとに異本が作成されていたといっても過言ではない。したがって、たとえ同一の板木で摺られたと思われる板本であっても、細かい吟味を抜きにしたまま、後摺本の諸本調査を等閑に付してよいはずがない。大多数の読者が手にしたであろう後摺本こそが、享受の諸相を明らかにするに違いないからである。

近年、福田安典氏が「伊予の貸本屋について」という発表(2004年度日本近世文学会秋季大会)で、愛媛県立図書館に汲汲堂という伊予の貸本屋が所蔵していた読本156タイトルが所蔵されていることを紹介された。その大半が新たに購入された後摺本であることから、新規に開業する貸本屋にとっては、たとえ旧作の後摺本であっても江戸読本は必要欠くべからざる品揃えであったことがわかる。

また、鈴木俊幸氏が「貸本屋の営業資料」(『中央大学文学部紀要』文学科93、2004年3月)で実証されたように、幾つかの貸本屋で使用された古本を入手し、草臥れた本を丁寧に補修した上で、それを商品として使用していた例を御架蔵本によって示され、その表紙の芯に使われた反古や、裏打ちに使用された紙に記された貸本屋の営業記録の断片を集めて、明治10年代の半ばにおいても、貸本屋の主力商品は江戸読本(特に馬琴作)であったことを示された。

ところで、明治期の『八犬伝』板本について小池藤五郎氏は旧岩波文庫『南総里見八犬伝』3巻「解説」(1937年)に次のように記している。

『八犬傳』の版本は明治になつて和泉屋吉兵衞・兎屋等の手に移り、遂に博文舘の所有となつて現存する。版木の所有者がその時々に刷出したので、名山閣版・稗史出版社版・博文舘版その他の後刷本が遺されてある。これらの後刷本の多くは、册數を變じ、口繪を缺き、原本の體裁は見る由もない。原版木使用の最後は、明治三十年に刷出した博文舘版の三十七册本である。

東京名山閣(和泉屋吉兵衞)版『里見八犬傳』は全揃106冊。

 一方、明治30年博文舘版とは、全9輯53巻 半紙本37冊、表紙は小豆色地絹目に唐草模様、外題「南總里見八犬傳 一(〜三十七)」、見返「曲亭馬琴著作\南總里見八犬傳\東京 博文舘藏版」(赤色地墨摺)、刊記「明治三十年七月二十八日翻刻印刷\明治三十年七月三十一日發行\發行兼\印刷者 日本橋區本町三丁目八番地 大橋新太郎\發兌書林 東京市日本橋區本町三丁目 博文舘」というもので、木箱(高さ47糎×幅18糎×奥行26糎)に収まるというものである。

「博文舘出版圖書目録」(創業二十週年記念發兌「太陽増刊」、明治40年6月15日、博文舘)に、「曲亭馬琴翁著(本箱入)全五十册(大判三〇五一枚)\[和装並製]南總里見八犬傳 正價九円五拾錢\小包料六拾四錢」と見えているのは、冊数は異なるが同様の板本であろうか。実物は未見であるが、もし明治40年に出ていたとすれば、原板木を用いて摺られた最も新しい板本ということになろう。

ここで、活字翻刻本に目を転じてみよう。『八犬伝』の活版本は明治10年代の半ばから和装本で出版され始め、東京稗史出版社版(明治15〜18年)は半紙本仕立ての42冊にわたる立派なものである。各輯巻頭の口絵だけを薄墨板まで覆刻しているが、原板木を使用したものではない。第9輯32巻の巻末広告には「畫圖原本飜刻」とあるが、原本を摸して改刻された板を使ったもので、新たに描き直されたものではないという意味のようだ。黄土色表紙の半紙本で全42冊、挿絵の大部分は省かれている。第3輯までが明治15年11月、第7輯までが明治16年3月、第9輯巻18までが明治16年11月、同巻32までが明治17年4月、同巻53までが明治18年3月に出されている。

その後も明治20年前に4種ほどの和装活字本が出版されていたことが確認できる。ところが、明治20年代に入ると洋装の活字本が出てきた。とりわけ明治26年6〜7月に博文館が出した帝國文庫『南総里見八犬傳』を見るに、手許の本の刊記は「(上巻)明治二十六年六月十三日印刷\明治二十六年六月十六日發行〜明治四十五年六月十五日丗二版發行 定價金七拾五錢」、(中巻)明治二十六年六月廿七日印刷\明治二十六年六月三十日發行〜明治四十四年十一月廿六日廿六版發行 定價金七拾五錢」、(下巻)明治二十六年七月十五日印刷\明治二十六年七月十八日發行〜明治四十四年十一月十四日廿三版發行 定價金七拾五錢」とあり、明治40年代に至るまで多くの刷りを重ねていることが確認できる。これ以外にも、袖珍文庫をはじめとした叢書や全集類にも『八犬伝』は必ずといって良いほど入れられているのである。

確かな証拠は用意できないが、ほぼ明治20年を境として、板本(整版本)から活版へと出版メディアの中心が移行していったと思われる。このメディア転換が展開するにつれて、本自体の価格が下がり、同時に全国的な本の流通機構が整備されたことによって、人々の読書生活は貸本屋に依存したものから個人所有へと移行していったと考えられてきた。

今、手許に「小説本目録」と題する半紙2折仮綴9丁の貸本屋の目録と思しき写本がある。末尾に「福島町南裡通貳丁目四番地\貸本舗高田」と記されており、1丁あたり3段に、『西洋復讎竒譚』以下『宇都之宮騒動』(上中下)まで400点弱の書名が列記してある。冒頭の『西洋復讎竒譚』は関直彦訳『〈開巻|驚奇〉西洋復讐奇談』前編(明治20年4月、東京、金港堂、洋装429頁、65銭)のこと、末尾の『宇都之宮騒動』(上中下)は確信は持てないものの『村井長庵大恩仁政録』(上下)や『鈴木主水』(上中下)などが見られることから、今古實録シリーズ(明治15年〜、榮泉社、和装)ではないかと思われる。詳しい紹介は稿を改めるとして、その概要を示せば、『浮雲』(明治20年〜、金港堂)や『経國美談』(明治20年、報知社)、『〈惨風|悲雨〉 世路日記』(明治18年、文事堂)などの近代小説を交えて、『里見八犬傳』天地玄黄や『〈山中三之助|復讎美談〉 鷲談傳桃花流水』など多くの江戸読本や、『慶安太平記』『名鎗笹野實記』などの実録物、『春色辰巳園』『春色英對談話(ママ)』などの人情本が掲出されている。

 貸本舗高田「小説本目録」 貸本舗高田「小説本目録」

気になるのは『里見八犬傳』に「天地玄黄」と注記が施されている点である。これは板本ではなくて明治19年10月に東京の文事堂から出された4巻本の活版本だと思われる。さらに、『鷲談傳桃花流水』(山東京山作、豊国画、文化7年)は、原本には見られない角書が付されていることと『鷲談傳奇』の「奇」の字が抜けていることから、『〈山中三之助|復讐美談〉 鷲談傳桃花流水』、和装本(17.6×11.3糎)1冊、袋綴70丁、「明治十八年八月四日御届、同九月 日出版\望斎秀月画・山東京山作\菱花堂發兌\定價金六拾五錢\編集兼出版人 元阿彌已之吉、發兌人 武田平治」という活版本であることは確実である。そう思って資料全体を眺めてみると、近世小説類も活字翻刻本を主として掲載されていると推測できるのである。

つまり、この資料から、明治20年代の貸本屋においては、板本ばかりではなく、活字翻刻本も利用に供されていたことが判明する。とりわけ不可解な現象だとも思われないが、活版本が流布するにつれて読者が本を所有するように移行していったとの「常識」も、貸本屋を通じて江戸小説の活字翻刻本を読むという過渡期があってのことだったということになるのである。

(たかぎげん・千葉大学文学部教授)


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