書店・古本屋・圖書館
高 木  元

 本屋と云へば良く待合せ場所に利用する。勿論デートする相手に拠つて店内のコーナーを變へるし、時には同じフロアに在る喫茶店の場合もある。互ひに相手を待たせても退屈させない爲の配慮でもあるのだが、實は大量の本を目の前にして情報交換をしようと云ふ魂膽を祕めてゐるのである。
 日々厖大な本が出版され續けてゐる中で、何を讀むべきかと云ふ情報は、限られた時間を生きる我々にとつて最も價値の高い情報の一つであらう。特に大部分の本は初版で絶版にされ品切になるので、店頭に竝んでゐる時期を逸すると手に入り難くなる。どうしても欲しい場合は古書店を搜す事になるが、多くの時間と勞力とが掛るし、古書價格の方が高いのが普通である。勢ひ普段から氣を弛めることなく、新聞や雜誌の書籍廣告には必ず一瞥を加へるし、色々な書評にも目を通す。尤も書評と云ふものは基本的には販賣促進の爲のものであるから、評價の方は鵜呑みには出來ない。一度書評を引受けてみれば分かるが、樣々な軋轢と妥協して周圍に行屆いた配慮を施さなければならないものだからである。それでも割切つて内容紹介付の廣告と考へれば、やはり利用價値は存する。ごく限られた既知の筆者が書いた本の場合は、贈つて貰ふ事もあるし、比較的見逃す事は尠い。だが、未知の方や專攻分野が異なる場合、地方出版や私家版の場合等が危ない。中でも一番困るのは、全集の月報やパンフレット圖録、雜誌別册の類で、場合に據ると數年間も知らずに安穩と暮して居ることもある。
 東京には建物全館が賣場と云ふ書店が何軒かあるが、名古屋で大規模書店と云へるのは廣小路の丸善や千種の正文館、近鉄百貨店の星野書店、名驛地下の三省堂等であらうか(その後ナディアパークに紀伊國屋ができた)。孰れにしても斯樣な情報の交換は、氣心の知れた相手と大きな本屋でするのが一番である。何しろ、實物を手に取つて見る事が出來、必要とあらばそのまゝ買つて歸る事が出來るのであるから。
 ところで、江戸時代の本屋と云へば、本を商ふ店であると同時に板元である場合が多かつた。本と云つても、板木を彫つて和紙に摺る製版本(板本)と、人手で書き寫した書き本(寫本)と云ふ二樣の異なる性格の本(和本)が流通してゐた。板本には佛書や啓蒙書の他に小説や隨筆等もあつたが比較的高價であつた。亦、寫本の方は巷の事件等を題材として書かれたもので實録と呼ばれ公刊が認められない本であつた。そして、此等の本の流通を擔つたのが貸本屋。この貸本屋もまた本屋と呼ばれたが、現在と違ふのは、新刊本、古本と輸入本(唐本)を區別なく竝行して扱つてゐた事で、更には貸本屋が出板を兼業する場合もあつた。つまり、製品の製造と流通が未分化な状態なのであつた。現在のレンタルビデオ屋の繁盛を見れば容易に想像できる状況だと思はれるが、貸本屋は客の反應から流行を逸早く察知できる位置に居た爲、江戸後期の大衆小説である讀本(よみほん)と云ふジヤンルを産出し、不朽の名作『南總里見八犬傳』を世に送り出すことになつたのである。さう云へば、當時の名古屋には大惣と呼ばれた大きな貸本屋が在り、この地域の圖書館の役割をも擔つてゐた。あの坪内逍遥も大惣の貸本で育つた一人である。
 現在の書店、古本屋、圖書館と出版社は、全て江戸時代の本屋が持つてゐた機能が分散したものと考へることが出來る。そして我々の學問は、此等の本屋の流れの上に在つて初めて可能なのである。



# 「読書ガイド1990」(愛知県立大学生協、1990)所収
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#               千葉大学文学部 高木 元  tgen@fumikura.net
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