★小説の原稿料

高 木  元

 近世文学の持つ最も顕著な特質は、作品が書物として出板されたということである。これは書物が商品として価値を持ったことを意味する。しかし原稿料(潤筆)が支払われたのは寛政三年(一七九一)年刊『娼妓絹〓(しょうぎきぬぶるい)』の作者山東京伝に対してが最初であり、これ以前は売れ行きの良い時に書肆より振舞いを受けた程度だという。この頃までの戯作者たちは生業を持っており、あくまでも余技としてしか著作を考えていなかった。京伝も同様であり、後に煙草屋を開き、その片手間に筆をとっていたに過ぎず、潤筆で生活しようとは思っていなかったという。したがって稿料が支払われたことが直ちに職業作家の誕生を意味するものではなかったのである。
 一方、最初の職業作家は十返舎一九だという。曲亭馬琴の『近世物之本江戸作者部類』によれば「(『膝栗毛』の)編毎に潤筆十余金を得て且趣向の為に折々遊歴すとて板元より路費を出させ(中略)一九か半生はこれらの中本の潤筆にてすくしたりといふ」とある。馬琴は自らを京伝と並べて潤筆を受けた初めだと記しているが、やはり京伝がまず例外的に報酬を受け、やがて一九そして馬琴が筆一本で生活をたてるようになったと考えるのが自然であろう。馬琴の場合は下駄屋の入婿として生活の基盤を準備し、読本作家として地位の確立する文化三(一八〇六)年までは手習師匠をし、やっとこの頃から職業作家として歩み始めたのである。
 筆まめな馬琴の書き残した日記や書簡などによれば、文政・天保頃の原稿料は読本一集(五冊)で十七両(特に『八犬伝』の場合は二十二両)、一方合巻一編(八冊)で五両であったことが分かる。米一石を一両とし現在の標準価格米の値段で換算し、ちょっと乱暴な試算をしてみると読本一集で八十万くらい、合巻一編で二十三万円ほどとなる。読本五冊は四百字詰原稿用紙二百五十枚ほど、合巻八冊で八十枚ほどだから、原稿料は一枚二千五百円〜三千円といったところであろう。一方年間収入は七十両(三百三十万円)ほどということになる。もちろん、米価は諸物価の基準とはならないし、収入にも変動があり、天保二年には百両を超えたというから、大ざっぱな見当でしかないが、この金額が決して高いものでなかったことは日記を読めばすぐに分かる。非常に質素な生活ぶりで、著述の資料とする書籍代もかさんだのである。
 ところで馬琴は婦女子を対象とする合巻よりも本領とする読本に専念したかったのだが、状況はそれを許さなかった。読本は元手がかかるうえに一集十五〜二十匁(約九千円)と高く、四百部ほどしか売れなかった。一方合巻は安上がりのうえ一編一匁七、八分(約九百円)で四、五千部売れたのである。また作者の側の問題としても、合巻は二週間ほどで書き上げることができるが、読本は最低でも二、三ヶ月は必要なのである。
 馬琴が生涯に二百六十余作という多くを著述したのも、潤筆だけで生活するための苦闘の跡としてみると胸に迫るものがある。

〈参考文献〉 浜田啓介「馬琴に於ける書肆、作者、読者の問題」(初出『国語国文』一九五三・四、後に『近世小説・営為と様式に関する私見』(京都大学出版会、一九九三))所収、服部仁「天保初年に於ける馬琴の年収」(初出『国語国文学会誌』一九七四・十一、後に『曲亭馬琴の文学域』(若草書房、一九九七))所収。

★勧善懲悪

高校生を対象とするある文学史の副読本によれば、曲亭馬琴の作品は「封建主義の立場に立って、勧善懲悪を説いた為にリアリズムは失われ、人物は封建道徳の傀儡に堕している」ことになっている。これは坪内逍遥が「彼の曲亭の傑作なりける八犬伝中の八士の如きは仁義八行の化物(ばけもの)にて決して人間とはいひ難かり(中略)勧懲を主眼として八犬士伝を評するときには東西古今に其(その)類なき好稗史なりといふべけれど他の人情を主脳として此(この)物語を論(あげつろ)ひなば瑕(きず)なき玉とは称(たゝ)へがたし」(『小説神髄』)と説いた立場を継承したもので、ここから一歩も踏み出していない。一方で着実に積み重ねられている研究を無視し、一世紀前の規定で事足るとする態度は、対象が高校生であるがゆえに一層はその罪は重い。
 今、勧懲について考える時、この語を用いる主体の意図するところを明確にしておかなければならない。単に「善を勧め悪を懲らす」という封建道徳の御題目と片付けてしまうことができない。
 元来、勧懲は中国の伝奇作家たちが怪譚妄語を著す際にその倫理的効用を主張するために用いた語であり、笠翁の「事取凡近而、義発勧懲」などという言葉は馬琴も愛好し、草双紙の挿絵にさりげなく用いたりしている。林義端なども『狗張子(いぬはりこ)(浅井了意、元禄五)に寄せた序文で同主旨の主張をしているし、近松も硯の蓋の銘に笠翁の九文字を記していたという。
 一方、俗衆教化を目的とするために積極的に勧懲を説く立場もなかったわけではない。いわゆる仏教勧化ものである。『勧善桜姫伝(かんぜんさくらひめでん)(大江文坡、明和二)や『小夜中山霊鐘記(さよのなかやまれいしようき)(欣誉、寛延元)などがそれであり、仏教的な因果応報観を強く持ち、半ば娯楽的な要素も持っていた。周知の通り、これらは化政期の江戸読本の粉本となった作品であり、強い影響を与えた。例えば山東京伝の『桜姫全伝曙草紙(あけぼのそうし)』にしろ曲亭馬琴の『石言遺響(せきげんいきよう)』にしても、序文などで「児女の勧懲の一端に」「勧懲に根(もとづか)ずなし」などと述べているのである。しかし、これが著述の第一義的な目的でないことは明確である。むしろ読本の構成上要求された原理で、作者と読者を結ぶ暗黙の約束である〈仮設された理法〉として機能したのではなかろうか。ならばこの原理は因果応報観を介して複雑にからまる長編の作品世界に秩序を与え、文学的にも調和のとれた構成の美を発揮せしめたと考えられるのである。
 自己満足的な孤高懸絶などとも評されるが、馬琴はこの勧懲を文芸批評用語として規定し、文学理念にまで高めたのである。これに対応するかのごとく、馬琴の作は次第に筋の表面で勧懲を説くのを止め、筋に沈潜した「隠微」として勧懲の意を込める。
 こうしてみてくると、「悪の活写のための隠れ蓑として勧懲を建て前とした」などどいう解釈は論外としても、読本という伝奇宇宙を創出するに当たって、勧善懲悪は必要欠くべからざる小説原理であったとみることができよう。

〈参考資料〉小池藤五郎「勧善懲悪」(『国語と国文学』一九三二・八)、浜田啓介「筋・倫理・勧善懲悪」(初出『解釈と鑑賞』一九五六・二)、同「勧善懲悪」補紙(『近世小説・営為と様式に関する私見』、京都大学出版会、一九九三)所収)、森山重雄「江戸小説の問題点」(『国語と国文学』一九六一・四)


# 『研究資料日本古典文学』第四巻「近世小説」、明治書院、1983
# 1998-12-27 増補改訂
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#               千葉大学文学部 高木 元  tgen@fumikura.net
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