読本の書誌をめぐって
高 木  元 

 はじめに

わが国の書誌学の伝統の中で、近世後期の製板本とりわけ挿絵入本については、比較的軽視されてきたといってもよいだろう。しかし、鈴木重三『絵本と浮世絵』(美術出版社、1979年)による読本挿絵の検討などを通じて、次第に板や摺りの相違についても注意が払われるようになってきた。とりわけ、中村幸彦「和本書誌のしるべ」(『中村幸彦著述集』15巻、中央公論社、1989年)や、同「滑稽本の書誌学」(「ビブリア」83号、天理図書館、1984年)などに披瀝された知見が、どれほど有益なものであったかは改めていうまでもない。さらに、新日本古典文学大系(岩波書店)の月報に連載されていた中野三敏「板本書誌学談義」も、豊富な経験に裏付けられた容易には得難い情報が盛り込まれていたが、『書誌学談義・江戸の板本』(岩波書店、1995年)としてまとめられ、「板本書誌学」の学問的な体系化への指針が備わった。

一方、従来から存する各種の書誌学辞典類や鈴木重三『日本版画便覧』(日本版画美術全集別巻、講談社、1962年)などにも基本的な事項については説かれているし、また入門用としては渡辺守邦「書誌学の基本用語 板(版)本」(「國文學」別冊、學燈社、1988年7月)が要領を得ていて便利である。

ところで、読本という箇別のジャンルに関する書誌の問題については、横山邦治『読本の研究』(風間書房、1974年)が必要に応じて触れたもの以外、まとめて記述されたものは備わっていないようである。近年の進捗著しい読本研究の活況を見るにつけても、また日本書誌学体系『読本年表』(青裳堂書店、未刊)の基礎調査に加わっているという個人的事情からも、読本の書誌についての知見がまとめたられたものの必要を痛感するようになった。

かつて、中村幸彦氏は「書誌書目の作成は文学史研究の補助学として基礎作業だから、図書館員がこれを引き受けよう」と呼びかけた。しかし、残念ながら一部の専門図書館を除いては必要な訓練も教育もなされていないのが実情のようである。一方、研究者とても書誌学について知らなくて済むはずがない。ならば、現在最も必要とされているのは読本の書誌に関する知見を共有することではないか。そこで、浅学非才を顧みず恥を忍んで叩き台を提出してみようと愚考するに至った次第である。

 書誌の記述

誤解を恐れずにいえば、書誌には有効な緻密性と無効な末梢性とがあると思われる。つまり、やたら細かければよいというものではないはずである。かといって必要最低限の記述がなされてなければ用をなさない。では、原本の姿がイメージできるだけの適正な記述とは如何なるものであろうか。たとえば、書誌の利用者が該書を見に行く必要があるかどうかを判断できる程度の情報というのは如何であろうか。あるいは、手許にある本との異同を知ることができるくらいの記述という観点もあると思われる。

いずれにしても、現在刊行されている図書館や文庫の所蔵目録の大半は不充分なもので、足を運んで行って実物を出して貰うまでどんな本だか分からない。理想的な書誌書目について、中村幸彦「付 新しい図書館員」(『中村幸彦著述集』14巻、中央公論社、1983年)には次のようにある。

単なる目録でなく、初版初刷、後刷、再版、異版、補版、改竄本、改題本など種々の必要事項を注記し、新種のものが出現すれば、その目録に照合すればわかるようにする。それぞれの本の所在、即ち何という本の初版初刷が、何処にあって、その初版初刷なることを証する特徴はここにある。改版後刷は又何館の蔵書で、初版初刷とは何処が違っているかなどを注記するのである。一人一人が一つ一つの本によって発見するなどという現状を早く脱出させねばならないが、かかる目録の作成も、学会にまかせておけば、何時できるかわからない。

これも図書館員の仕事という範疇で書かれているが、ひとまずそれは措き、書誌書目としては、板と摺りに関する記述とその根拠、並びに所蔵機関名が必要であるという主旨である。

読本の書誌の場合も同様に考えればよいと思う。ただし、少しでも原本に触れたことのある者ならば、一口に板と摺りに関する記述といっても、そう簡単に判断できるものでないことは誰でも知っている。本というものは、常に相対的な存在であるという認識に基づく必要があるから、この本こそ初板初摺だと断言するのはなかなか難しい。つまり、何処かから、もっとよい本が出てくるかも知れないという認識なしに本と向き合うことはできないのである。まして、出板当初の姿をそのまま残している本が甚だ少ない中にあって、後摺時の板元や、貸本屋、所蔵者などが後から加えた改変を見分けるのは大変である。それができるようになるためには、同じ本を可能な限りたくさん見て歩くよりほかに道はない。

すなわち、現状では「一人一人が一つ一つの本によって発見する」しか方法がない。ならば、すでに誰かが調べたことを知らずに、別の人が同じ労力を費やすのは無駄というものであろう。もちろん、知っていた上で確認をしに行く場合などもあるから、一概に無駄とはいいきれないかもしれない。しかし、どこに如何なる本が所蔵されているかという情報は可能な限り公開した方がよいと考え、今までそうしてきたつもりである(高木元『江戸読本の研究』、ぺりかん社、1995年)。ただし、訪書の労を惜しまずに自分の足で原本に触れながら調べるのが勉強だから、敢えて所在情報を公開する必要はないという教育的配慮もまた一つの見識ではある。

ちなみに、国文学研究資料館で作成された古典籍総合目録データベースによる『古典籍総合目録』(岩波書店、1990年)は、『国書総目録』刊行以後に出された諸機関の目録によるユニオンカタログであり、訪書に際して大きな便宜を得られる。しかし、今述べてきた書誌書目については、オンラインで公開されている「マイクロ資料目録」がこれに当たり、概ね必要な書誌情報も含んでいるが、肝心の「刊記」が記載されていない点に不満が残る。

いずれにしても、「古典籍」を近世期(慶応4年)以前として限定しているあたりに問題がある。近世期に出された板本は明治に入ってからも多く摺られており、それら後摺本に関する所在情報や書誌情報も研究には不可欠であるにも関らず、検索する手段が狭められているのが残念。当面は諸機関ごとの目録に当たって行くしかないだろう。

 書誌学の意義

さて、出板物としての本というモノ総体をテキストとして見る立場に立ってみたい。本は本文だけ読めればよいというものではないと思うからである。冊数や大きさ、表紙の色や意匠などの装丁の具合、挿絵や本文のレイアウトや字体など、鑑賞すべき箇所は殆んど本全体といってもよい程である。和紙に木板で摺られた本には、最近の洋装仮製本の活字本からは決して味わうことのできない、本の香とも風味ともいうべきものが備わっている。全てが手作業でできているせいでもあるが、本を創ることに対する感覚がまったく違った。とりわけ、きれいな色の表紙に様々な意匠が凝らされた江戸読本は、特別に商品として意識されて造本されたものといえるかもしれない。まさに一種の美術工芸品とも言い得よう。

しかし、一方で「テキストは活字本で充分だ、作品論を書くのに原本を見る必要は感じない」という立場があることも承知している。これはこれとして一つの考え方には相違ない。だが、基礎研究の進んでいない読本の場合、使用する活字本(の底本)によっては、とんでもない事実誤認を冒してしまう危険性を孕んでいる。また、刊行されることのなかった写本は、翻刻された活字を見ただけでは、板本と違いが何ひとつ感じられない、という点にも注意したい。

ところで、なぜこのように本というモノにこだわるかといえば、板本の書誌学の第一の目的が初板初摺本の捜索と識別にあるからである。おそらく、多くの場合作者が関与したのは初板初摺本に限られたであろうし、出板書肆を確定するためにも、後摺本ではなくなってしまうことの多い刊記や見返を完備した初板本探求が必須である。場合によっては、初摺本だけに重ね摺りなどの技法が施さた挿絵が備わっていたり、作者自らが出板に至る経緯を記した「再識」などが付けられていたりすることも多い。

だが、だからといって後摺本の調査が無駄であるはずがない。むしろ徹底した後摺本の調査を通じて、一つの板本の改竄や異板などを発見することも有意義なことである。つまり、現存本の網羅的な調査を通じて、作品の変遷の諸相を明かにすることにより、板木の移動や、消耗品としての「本」の価値の変化などについて知ることができるからである。そして、これらの基礎研究は、国文学のみならず歴史学や国語学、さらには近年進展の著しい出板文化史研究にも不可欠な情報を提供するはずである。

ところで、過去の読者達の側から考えてみると、その大多数は後摺本や活字本で読んでいたはずである。後摺本の方が出板された部数も桁違いに多いし、活字本ならばなおさらである。ならば、板本の書誌学の延長として、明治期以降の翻刻本の調査もまた不可欠な課題であるといえよう。板本から活字本に変わっていった本と変わらなかった本。また、どんな本が写本から活字本へ変わったのかなど、考えるべき問題点は多い。

 読本の書誌

さて、本の各部分に分け、それぞれの持つ問題について整理し直してみることにする。

◆大きさ

大雑把に、大本(美濃紙半折26×18.5糎程)・半紙本(半紙半折22×15.5糎程)・中本(美濃紙4折18.5×13糎程)という3種類の大きさに分類できる(化粧裁ちをするので紙の規格よりは一回り小さくなる)。これら大きさの相違は、様式の制約が強かった時代のこと、出板者が本の「格」をどのように考えていたを知る手掛かりとして重要である。もちろん、大型の本ほど格調高く硬いものが多く、小型の本ほど俗で柔らかい内容のものが多いということになる。

ところが、実際に寸法を計ってみると、それぞれある程度巾があることに気付く。この本の大きさの揺れがなぜ生じたのかは分からないが、あるいは紙の産地による相違であったのかもしれない。一糎程度の僅かな差はともかくとして、気を付けなければならないのは、大きさの差になにがしかの意味が見出せる場合である。つまり、半紙本をやや細身にして「唐本」仕立てにしたり、わざわざ半紙本と中本の丁度中間程の大きさ(これを仮に「中間型」と呼んだこともある)にしたり、明らかに規格外れの変形判を意図して造本されたものが見られるからである。

したがって、普通の規格である大本・半紙本・中本と大差ないものは、ことさらに大きさを記す意味はないと思われるが、これらから外れる「変形判」の場合は寸法を記しておいたほうが都合がよい。

なお、これは飽くまでも本の大きさの問題であり、匡郭の大きさとは区別して考えた方がよいと思われる。というのも、匡郭が中本並の大きさであるにもかかわらず、半紙本で出された本が存在するからである。これらの本が、本来中本サイズで出されたものを貸本屋向けに別製本されたものであれば比較的問題は単純である。が、明らかに半紙本仕立ての本が初摺と思われ、かつ半紙本大の見返を備えた本、たとえば十返舎一九の『〈大念佛寺|霊宝畧傳〉連理片袖』などを見るに、そんなに単純にはいかないようである。つまり、匡郭が中本並だからといって、中本サイズの本を確認するまでは、中本型読本として刊行されたとは即断できないのである。

◆巻数冊数

「5巻5冊」という具合に巻数と冊数とは揃っているのが普通である。ところが、中には1つの巻を上下2冊に分けたものも見られる。この場合は「5巻6冊(巻5上下)」というように記しておけばよいだろう。

また、後の所蔵者が各冊の表紙を取り払って合冊したものも見かける(大名家の旧蔵本に多いようだ)。この場合も内題(巻首題)などを手掛かりにすれば冊数は推測可能であるが、やはり「3巻合1冊」と記しておくべきであろう。というのも、実はこの冊数の問題は意外と厄介で、例えば『椿説弓張月』残篇巻五や、『雲妙間雨夜月』巻3のように、文章を途中で切って分冊してあるにもかかわらず、その形態が出板当初からの姿であると判断できる本が存在しているからである。

ただし、ごく一般的には後摺本ほど冊数が増えていると考えてよいと思われる。板元が売る場合にも、貸本屋が見料を稼ぐためにも、冊数が多い方が都合がよかったからである。とりわけ、改題されている後摺本の場合は、単に外題簽を替えただけのものもあるが、分冊した部分の匡郭に手を加えて首題や尾題を入れ、各巻の首題に入木して巻数まで増やしてある改竄本も少なくない。

◆表紙

寛政期頃までの読本は、縹色無地表紙に短冊型の文字題簽という地味なものが大部分であったが、文化期に入り江戸読本の全盛期に入ると、華やかな彩りの文様を摺り込んで意匠を凝らした表紙が多くなる。

書誌をとる時に何時も悩むのがこの色名の書き方である。『色の手帖』(小学館、1986年)や『日本の伝統色』(読売新聞社、1987年)なども参考になるが、とりあえず、デザイナー向けの「日本の伝統色」(大日本インキ化学刊)という色見本(1×5糎程の紙片で250余色)を持ち歩き、当該書の2冊目辺りの比較的退色していない部分に照らしあわせて「丁子茶(769)」などとしている(番号は色見本に付されているもの)。所詮、和紙の色合いと光沢のある紙にインクで印刷された色とが同じに見えるはずもないのだが、この方法のメリットは、同じ色見本を持ってさえいれば、たとえ現物を見たことがなくとも、およその見当が付くという点にある。

次に文様である。これも表現の仕方が難しいが、「表紙模様集成稿(1〜3、索引)(「国文学研究資料館調査報告」2、4〜6)が参考になる。『日本文様事典』(河出書房新社、1984年)『江戸文様事典』『江戸文様事典』(河出書房新社、1987年)なども便利。

この表紙の色や文様は、摺りの時期を判断することができるという意味で重要な手掛かりになる。つまり、摺った時期が違う場合は表紙を変えている可能性が高いからである。もちろん、出板された後に改装された本も決して少なくない。

◆題簽

表紙に貼られた題名(外題)の書かれた紙が題簽。左肩に短冊型文字題簽を持つものが一番多い。初摺本の多くは、楷書から次第に字体を崩すなどして各冊違うものを使っている。これが後摺本になると、同じ板(字体)で巻数の部分だけを後から書き込んだものが多くなる。また、中央上部に色紙型題簽を貼った振鷺亭の『俊徳丸謡曲演義』のようなスタイルもある。これは謡本の表紙に擬したものであるが、題名以外に各冊の内容を記した目次仕立ての形式である。

この他、式亭三馬の『阿古義物語』や曲亭馬琴の『八丈綺談』などのように、美麗な色摺りの絵入副題簽を施したものも見られる。また、中本型読本の改題後摺本の中には、六樹園の『天羽衣』のように、合巻風の貼付絵題簽を持つものもある。これらの絵題簽は、作中の挿絵を描いたのとは別の画工が手掛ける場合もある。

◆見返

表紙の裏が見返(扉)。ここには題名、作者、画工、刊年、蔵板元などが記されているのが普通である。化政期以降の読本の初摺本には見返が付けられていたものと見て間違いないと思われる。墨摺りで枠中に文字だけの簡素なものから、時代が下るとともに絵を入れたり彩色を施したりして様々な意匠が凝らされたものが多くなるようだ。また、見返に色紙が用いられたものもあり、黄色など比較的薄い色のものが多いが、次第に派手なものも見られるようになる。

蔵板元が記されている場合は特に注意を払う必要がある。刊記に並べられた書肆名を見ただけでは、実質的な蔵板元が分からないことが多いからである。ただ後摺本の中には、巧妙に入木して、この部分だけを改竄してあるものも見受ける。

なお、時々右上部に大きな印(朱印)をあしらったものを見かけることがある。魁星印と呼ばれるものである。魁星とは北斗七星の第一星で、文運を主る星と看做されたものという(井上和雄『増補書物三見』日本書誌学大系、青裳堂書店、一1978年)参照。

◆序文

概して、様式性の強い漢文体を採るものや、ひどく崩した変体仮名を用いたものが多く、内容的にも文人趣味の濃厚な韜晦的な文章といってよい。わざと読めないように書いたとしか考えられないものすらある。また、無名作家や素人の入銀本(自費出板)と思われるものには、箔付のために著名な作家の叙を持つものも見受ける。また、板下が書家などの手に成ったものの場合には、ことさらに「何某筆」などと末尾にその名が記してある。

序文以外にも、所謂「題」と称する漢詩文や画賛などを並べたものも見られるし、作者自身の手に成る序文を「自序」として並べ掲載する場合もある。「再識」などと称して、出板に至る事情や、校合もれの言い訳けなど付記する場合もあった。

この序文も時代が下るにつれて、墨一色の質素なものから色摺りの飾り枠を施したものや色紙を用いたもの、さらには虫の喰った古文書めかした風情を持ったもの、厚手の紙に絹目の空摺りを施したものなど、意匠を凝らしたものが増えてくる。

◆口絵

寛政以前に主として上方で出板された読本(怪談奇談短編集)には口絵が見られないものが多い。また、初期の江戸読本においても、口絵の有無や挿絵の位置などは様式的に統一されていない。寛政期に入ってから、中国の絵入小説本の「繍像」と呼ばれる挿絵様式に倣って中本型読本を通じて実験的に試みられ、文化初頭に至る過程で次第に半紙本読本でも「繍像国字稗史小説」としての様式が形成されてくる鈴木重三「読本と草双紙」(図説日本の古典『曲亭馬琴』、集英社、1980年)。特に、揺籃期の口絵では、画中に各章回の題名を記したものもあり、これなどは一種の目次的な役割を担ったものであろう。ただ、普通は主要な登場人物を描き、その運命などを暗示する漢文賛や歌句などが添えてあるものが多い。つまり、造本様式の史的変遷を見るためには、口絵等の位置やその様式についても正確に記しておくことが必要である。

さて、口絵の完備した本の場合、巻頭に位置することもあり、薄墨(凝ったものは濃淡2色)や艶墨、時には色板までも用いて重ね摺りを施したものもある。当然見栄えを計算したものである。やや厚手の紙を用いて空摺りを施して絵に立体感を与えるなどという工夫を施したものすら見かける。基本的には、早い摺りの本ほど手を掛けて意匠を凝らしているが、こと口絵に関しては、後摺りになっても余り手を抜いていないものが多い。中には、薄墨板だけを彫り直したものもあるし、場合によっては、口絵全図を彫り直しているものすら散見する。その多くは画工を替えて時流に適った画風に描き直されていることが多い。なお、板木を彫り直している場合は、柱刻や匡郭の太さや大きさなどを注意深く調べて比べてみると分かる。

◆題名

作品名として採用されることが多いのは内題の中でも巻首題と呼ばれている本文冒頭の題名である。一方で、本の顔とも呼ぶべき外題こそが書名としてふさわしいという考え方もある。それぞれに、一長一短があるが、元表紙を完備し貼り題簽を残している本が少ないということもあり、書誌をとる場合は、内題(巻首題)を作品名として採用するのが無難だと思われる。また、国文学研究資料館のように『国書総目録』の本項目にある作品名などを「統一書名」として採用するのも一つの方法であるが、より精密な読本の書誌を作るための基準とするにはやや甘いと思われる。

細かいことだが、巻毎に用字が異なっている場合など扱いに窮することもあるが、暫定的に一巻目のを採ることが多い。また角書きといって、登場人物名や世界などを二行に分けて小さな字で題名に冠することがある。これが曲者で、巻首題だけにあったり、外題、見返題にしか見えない場合もある。稀には予告広告にしか見られない場合すらある。これも、記載場所を含めて漏らさずに記しておく必要があろう。

なお、拙い経験からいえば見返題が角書きを完備した作品名としてふさわしいように思える場合が多い。とりわけ、草双紙には外題を簡略にし同時に首題のないものが多いため、草双紙に近い中本型読本でも見返題が役に立つ場合がある。

一方、柱(袋綴じの折り目の部分で板心ともいう)にも題名が示されていることが多く、この柱題はスペースの関係で大部分が略称である。この柱題が役に立つのは改題本の場合で、たとえ外題や巻首題に入木して直してあっても全丁の柱題まで直すことは余りないから、元の題名を知るための手掛かりになる。尤も、手抜きの場合は、本文最後の尾題が訂正されずに残っていることもある。

◆柱刻

柱には、魚尾に区切られた柱題(下に巻数を入れる)のほか、普通は丁数を記す。中には蔵板元名を入れたものも見かける。柱刻がないものの場合はノドの側(綴じてある方)の下に小さく書かれている場合もある。丁付は、序文口絵の部分や跋の部分を別にしているものもあるので、最終丁の丁付が紙数に合致しないことがある。いずれにしても、丁付が乱れている場合には後から何等かの手が加えられた本である可能性が高い。特に後摺本で挿絵などを削除してしまった場合、2丁分を一緒にして「四ノ五」などのように直されることがある。

◆挿絵

挿絵の摺りの状態や施された印刷技法に関する吟味は、板の相違や摺りの前後を判断する上で役に立つ。手数の掛かる技法は後摺本になると省かれてしまうのが普通だからである。それゆえ、重ね摺りやボカシなどの有無で判断できる場合が多い。ただ、重ね摺りの手を抜くと絵として意味が分からなくなるような時には、絵そのものを削除してしまう場合も見られる(見開きの場合は裏と表とで一続きになっているので、これを省くと丁度前の表と次の裏で本文が続くのである)。尤も、意味不明の絵が残されたままに成っていることも多い。

なお、薄墨の色の濃さであるが、同程度の摺り本であるなら、薄いものほど早い摺りと見做してよいようだ。摺っている最中に次第に水分が蒸発して色が濃くなってしまうからである。また、色板を用いて色摺りを施したものもあるが、江戸板では上方と違って一貫して多色摺りの読本は出板できなかったので、比較的地味な色を一部分に用いた程度である。

挿絵を扱う上で見落とし勝ちなのは、画中の空いている部分に加えられる詩文である。墨一色の場合はよいが、薄墨や艶墨の白抜きで摺り込まれている場合は、初摺本を見るまでその存在に気が付かないことすらある。特に、さりげなく典拠を示唆していたりする場合もあるから見逃せない。

◆跋

これは後序と呼ぶ場合もあるが、必ず付いているわけではない。作者自身が別号などを用いて記したものを多く見かける。

◆刊記

初摺本の最終巻末丁には刊記がある。刊年や板元書肆名以外に作者や画工の名前が記されており、筆耕や彫工の名前が記されたものもある。これらの記述は出板事項としては最も重要な情報であるので、正確に記録する必要がある。たとえば、丁子屋平兵衛の場合などは、住所からだけでも刊年が推測できる(伝馬町二町目に転宅するのは天保末年頃)

江戸読本の中には、刊記に複数の書肆名が列挙されているものも少なくない。これは、相板元として共同出資した書肆である。管見の範囲でいえば、並べられた板元名のなかで、最初に位置する本屋が書物問屋として出板の出願をした書肆で、最後尾に位置する書肆が実質的な蔵板元である場合が多いようだ。また、三都板といって江戸と京と大坂の板元が一緒に出したものもある。

後摺本の場合は、本来の刊記をそのまま使っている場合と、一部分を入木して直す場合とがある。また、時には別本の刊記を流用する場合もある。これは、注意深く匡郭を本文と比べてみると分かることが多い。しかし、刊記のないものや、巻末に広告しか付いていないものも多い。この広告が蔵板目録であり該書がそこに登載されていれば、その板元が後摺したものと判断してよいと思われる。だが、薬などの広告だけで板元が特定できない場合もある。

なお、傍証にしかならないが、付けられている表紙が別の読本の流用であることが明らかな場合、板元や刊行時を推測できる場合がある。とくに、別の本に付されたその板元の蔵板目録中に登載されていることが確認できれば、さらに蓋然性は高まるはずである。

つまり、いかなる場合でも、付けられている刊記を全面的に信用することはできないと思った方がよい。本全体の調子や、出板関連の史料(『享保以後・江戸出版書目』や『画入読本外題作者画工書肆名目集』など)に当りながらでなければ、初板本の確実な板元を知ることはできない。

刊記に見られる書肆の住所が「東京」などとあるのは、明治になってから摺られたもので、これを特に近代摺と呼んだりする。近代摺の本には、活字で印刷された広告が付されたものすら存在する。この種の本の下限は明治30年代かとも思われるが、今後の精査が必要であろう。

◆広告

多くの広告は板元の「蔵板目録」や近刊予告などである。板元が取り次ぎをしている薬の広告もよく見掛ける。蔵板目録は単に板木の変遷を知る手掛りになるばかりでなく、書かれている梗概などから、改題後摺本の元の書名を知るために役に立つ場合がある。同時に、一種の読本リスト型録カタログとして使われたであろうことも想像に難くない。

近刊予告の方は、たとえ梗概まで書かれていたとしても、実際には刊行されなかったものが含まれている。これなどを集めれば、板元が主導して出板が行われていたということを示す恰好の資料になるはずである。

◆袋

発売当初は(帯状の)袋に入れられて売られたものと思われる。現存するものは、はなはだ少ないようであるが、中本型読本の方には美麗な多色摺りの袋が残っているものもある。しかし、半紙本の江戸読本では墨一色で題名や板元を摺込んだ簡素なものであったと思われる。尤も、時代が下ると(上方のものが多いようだが)、見返の板木を利用して一部の色などを変えた美麗な色摺りの袋も見られる。

◆その他

○初めの4、5丁を除いて後の部分を「封じ紙」と呼ばれる白紙で綴込んでしまい、それを破らなければ後が読めないようにした本がある。特に封切本と呼ばれたもので、貸本屋が高い見料を取って貸した初板本である。稀に現存本のなかでも、最初の方に封じ紙が残っているものがある。これが残っている封切本は一応初板初摺本と判断してもよいようである。ただ、読むには邪魔なので破かれてしまうことが多く、ノドの方に僅かに破った跡が残っている場合が多い。いずれにしても、摺りを見極めるのに有効な手掛かりである。

○本の天地と小口に柿渋を塗り付けたものがある。焦茶色に乾いて硬くなっており、見た目にも汚らしいが、紙魚避けと手摺れ防止を兼ねた処置である。余りよい本にこの処置を施したものは見ないが、やはり貸本屋本に多い気がする。

○本を読んでいると、中から乾いた銀杏の葉っぱが出てくることがあるが、これは栞であると同時に、防虫剤としての役目を持っていたようだ。しかし、乾いてしまっては効き目はないだろうから取り除いて構わないはずである。

○蔵書印、とりわけ貸本屋の印で役に立つのは「大惣」のもの。これは、名古屋の大きな貸本屋であった大野屋惣八の旧蔵書で、その蔵書目録が日本書誌学大系に収められている柴田光彦『大惣蔵書目録と研究』(青裳堂書店、1983年)。この労作には所蔵機関名に加えて請求番号まで記されていて便利である。

○一般に落書は尾籠なものが多くて不愉快であるが、中には有用な情報が得られるものもある。また、コピーや写真の場合は落書と分からないことがあり、やはり原本で確認しておく必要がある。

○板本に朱などで訂正部分を記した本があるが、これが校合本である。作者の彫師に対する指示などが書かれているものがあり、校合本と判明している本は貴重書に指定されているのが普通である。また、写本の中には稿本(作者の自筆原稿)が含まれており、これには画工に対する指示などが見られる。また、文字通り板本の写しの場合もあるが、一般に原本に忠実な写しが多く、挿絵まで克明に模写してあるものすらある。とりわけ、写本の中には板下が残ったものもあり、出板されずに終ったものの場合は資料として貴重である。

○後摺本の中には同板のものと改竄(一部改刻)本とがある。改竄本の場合、改題して別の作品に見せかけたものが多く、また一つの巻を二分割して冊数を増やしたものが多い。その場合、各冊の最初に首題を付け加えるのが普通であるが(例外については前述)、巻を二分割した場合には、匡郭の外にはみ出して巻首題を填込むこともあり、これは甚だ不自然なので一見しただけでそれと知れる。一方、全面的に板木を彫り直した再板(再刻)<本や求板覆刻本もある。おっかぶせの場合は良く見ないと分からないが、全体に線が太くなっているのが顕著な特徴である。

読本の出板

作者の意図が直接反映しているのは稿本と呼ばれる作者の原稿である。現存しているものは稀だが、これを見ると本文はもちろんのこと、画工に対しても口絵挿絵の下絵を示して詳しく指定していることが分かる。この稿本を基に筆耕が清書して板下を作り、画工が絵を描く。そして、今度は完成した板下を使って彫工が板木を彫り、校合本と呼ばれる校正摺(ゲラ)を作者に戻す。訂正箇所は板木を削って入木(象嵌)をして直す。現存する校合本と初摺本とを比較すると、かなり丁寧に直されていることが分かる。つまり、以上の行程から初摺本には作者の意図がかなり反映していると見てよい。だが、一旦作者の手を離れた再摺本以降は、板元によってどのような手が加えられたか(または手抜きをしたか)が分からず、現存する諸本を丁寧に見比べて見なければ、その変更点は明かにできない。つまり、後摺本からでは作者の当初の意図を充分にはかり知ることはできないということになる。

次に、基本的な問題として、作者に著作権が存在しなかったことを確認しておく必要がある。江戸読本の場合は、買取原稿として潤筆と呼ばれる原稿料が支払われていたに過ぎない。つまり本が出た後のことについては、作者にはまったく口出しができなかった。一大ベストセラーになった『南総里見八犬伝』を書いた馬琴が生涯に亙って書続けなければ生活できなかったのは、実はこのためだった。

これに対して、板元の板株(出板権)は本屋仲間を通じて他の板元から保護されており、蔵板しているものは自由に再摺りしたり、改題本に仕立て直したりすることができた。資金繰りに窮すると板株を他の板元に譲渡してしまうのも、ごく普通のことであった。また、これらの本を摺るための板木の量は膨大であり、摺らない時には質に入れていたようである。保管と資金繰りを兼備えていて合理的であったからであろう。ただ、板木さえ持っていれば、需要に応じて自在に本を摺って出すことができた。その際に掛かる経費は摺賃と紙代程度で済んだので、摺れば摺るほど利益があがった。だから、一般に摺りが重ねられるほど手数が省かれ、板面も痛んで荒れて来て、初摺りの趣を失ってしまう。

一方、火事で板木が焼失してしまうことも少なくなく、これを再び摺る場合は「かぶせ彫り」といって、刊行された本を板下として用いて再刻した。再刻される時には、挿絵の色板を減らしたり、口絵や叙跋類を省いたりして、大抵の場合は何等かの手抜きが行われる。同時に彫直した時には作者の校正を受けないから、字の間違いなど(彫りこぼし)も発生する。つまり一見しただけでは同じ板の様に見えても、彫直している場合もあるし、時には作者や画工の名前の部分を入木して改竄してしまうことすらあった。これらの改変は、全て板元の利潤を目的になされたものであるから、作者の意図から離れて行くのが普通である。

以上、読本の書誌に関して管見の範囲で知るところをまとめてみた。多くの錯誤や不充分な点があると思われるが、読本の書誌に関する問題点について考えて頂く叩き台になれば幸いである。御気付きの点に付いては是非とも宜敷く御教示頂きたい。

【付記】本稿をなすに当たっては、文中で御名前を挙げた方々以外に、故向井信夫氏から特に多くの御教示を賜わりました。記して深く感謝申し上げます。


# 『讀本研究』第四輯上套(渓水社、1990)所収
# 1998-9-3 増補改訂
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