L'UNIVERS DU LIVRE JAPONAIS ANCIEN
MNAAG (Musee national des arts asiatiques-Guimet)
23 FEVRIER 2017
ワークショップ「和古書の世界」ギメ美術館(2017/2/23)

Les yomihon, romans populaires illustres des XVIIIe et XIXe siecles,
dans la collection de la bibliotheque du musee Guimet,
江戸読本 ―ギメ東洋美術館図書室所蔵 日本19世紀伝奇小説をめぐって―
高 木   元(大妻女子大学教授)
par Takagi Gen, professeur a l'universite feminine Otsuma
通訳 クリストフ・マルケ(イナルコ教授)
(interprete : Christophe Marquet)

初めまして、大妻女子大学の高木元と申します。日本の19世紀に出板された絵入小説、とりわけ『南総里見八犬伝』に代表される江戸読本えどよみほんを中心に研究しています。

さて、私が初めてパリを訪れたのは2005年のことでした。古くからの友人である実践女子大学の佐藤悟先生のお勧めで機会を与えられたのですが、日本文学を専攻してきた私がヨーロッパに渡って来ることがあるとは、若い頃から全く想像もしていなかったもので、とても刺戟に満ちた楽しい経験でした。

一週間ほどの短い滞在でしたが、歴史ある古都パリの街にすっかり魅せられてしまいました。その際に、マルケ先生に導かれてフランス国立図書館や装飾美術館図書室、そしてにギメ美術館図書室に所蔵されている和古書中にある読本類を拝見させていただきました。

その後、フランス国立図書館等に所蔵されているトロンコワ旧蔵の和古書の調査をなさっているマルケ先生を「お手伝いするため」と称して、毎年パリを訪れるようになりました。あっという間に既に12年間も経ってしまいましたが、ギメ美術館図書室へも時折お邪魔するようになりました。

たしか、2010年春だったと思いますが、ギメ美術館図書室司書である長谷川さんから見せて頂いた資料群がありました。それらは江戸読本の挿絵だけを抜き出して1冊に綴じ直したものでした。此等の資料は仮に〔読本挿絵集〕と呼んでおります。

以来、ギメ美術館所蔵資料の中から該当する資料を探し出しては見せて下さり、1年に1度という悠長な調査を2015年まで継続し、やっとその全貌を把握し整理することができました。既に日本語では学術論文として発表しているのですが、今回はフランス語での通訳の労をマルケ先生にお願いして、後ほど紹介したいと思います。

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さて、17世紀から19世紀の後半に至るまで、日本の出版物は「製版」(木版)と呼ばれる方法に拠り印刷されてきました。これは、桜の木を平らな板に加工して、そこに文字や絵を描いた薄い紙を裏返しに貼り付けて転写し、印刷されない部分を彫刻刀で削り取り、残された出っ張った部分に一様に墨を塗り、その上に和紙を載せて上から馬連ばれんで擦ることにより、板木の絵や文字が転写されるという複製方法です。

17世紀以降、金属活字による活版印刷が普及していた西洋では、おそらく困難であった絵入本や色刷絵などの印刷が、日本では木版技術が高度に進化したことに拠り可能であったのです。結果的に、日本における17〜19世紀の出板文化に見られる顕著な特徴は、大部分の書物が絵入であった点に見られるのです。

想像するに、19世紀後半に極東の小さな島国である日本を訪れたヨーロッパの人々は、東洋の後進国における未開社会として日本を見たに違いないと思います。しかし、木と紙とで造られた鄙びた日本において、実に多様な書物や印刷物に人々が接しているのを目の当たりにして、その識字率の高さに驚嘆したのです。江戸(現在の東京)は19世紀には既に100万人を越す人口を擁した大都市でした。そして、其処では大量の絵入本や多色摺りの印刷物が流通していました。

民俗学や宗教学的な興味を持って日本を訪れたエミール・ギメ氏は、ヨーロッパの人々にも日本の民俗文化が理解されやすい画像イメージを伴った印刷物(浮世絵や絵入本)が、大量に安価に流通していることに目を付け、仏像や仏具と共に、それらを購入して持ち帰りました。

折しも、19世紀半ば過ぎの日本においては、「明治維新」と呼ばれる一連の内乱政変が起こり、明治元(1868)年に徳川幕府による封建社会から、天皇親政による近代的資本主義(帝国主義)国家へと変貌を遂げます。

この社会の大きな変化(文明開化)は、日本文化の急速な西欧化をもたらすことになります。江戸時代の文物は旧弊として蔑しろにされるようになるのですが、この時期に「不要品」として古書市場に溢れた和本や浮世絵は、古美術商たちや西欧の人々の目に留まり、その多くが輸出されてヨーロッパに渡ることになったのです。

その結果として、パリ万博を契機としてヨーロッパで所謂ジャポニズムが興隆流行し、大量の浮世絵や和古書がヨーロッパにもたらされ、現在ヨーロッパに散在する貴重な日本古書コレクションの基礎を形成したものと思われます。ギメ美術館による日本の和古書の蒐集は、ヨーロッパでのオークションなどを通じて継続されたようですが、結果的に所蔵の日本古典籍中の大部分は絵入本となったのです。

   ※

ここに19世紀における仏日交流を象徴的する1冊の書物があります。明治16〈1883〉年にパリで刊行されたフェリックス・レガメー編『OKOMA』という本です。この本は、レガメーが来日した時に知ったと思われる曲亭馬琴の江戸読本『美濃舊衣八丈奇談みののふるぎぬはちじようきだん(文化10〈1813〉年刊)を、フランス語で翻案し、挿絵を摸写して彩色を加えて出版されたものです。原本が出版されてから70年後ということになります。

様々な偶然が重なった上での結果であったとは想像されますが、200年以上前に日本で流行していた絵入本が、フランスにおいて、その70年後に紹介されていたということは、劃期的な出来事であったといえましょう。

さて、江戸時代(19世紀半ば)までの日本に於いて、江戸読本は個人で買うには大変に高価な本だったので、貸本屋を通じて流通していました。当時の貸本屋は固定した店を構えていたのではなく、町内の家々を定期的に訪問して、読んでしまった本を回収し、新たな本を置いていくという方法で貸本商売をしていました。ですから、貸本屋が所蔵している書物は、お得意さんに一巡してしまうと別の貸本屋に売るのが普通でした。このようにして、次第に江戸以外の地方の貸本屋の手に渡り、長い時間を掛けて、最終的には全国の人々に読まれることとなったのです。

現存している多くの江戸読本を見ると、左右の下部が手擦れで汚れているものが大部分ですが、これは貸本屋で流通していて長期間にわたって大勢が読んだことを示しています。

実は、この江戸読本というジャンルを企画出板した板元は、貸本屋を手広くしていた業者だったことが分かっています。市場動向調査マーケツテイング・リサーチをした上で出板企画を立てていたので、読者の嗜好や人気に合致した内容や意匠を備えた江戸読本を出板することが出来たわけです。江戸読本の装訂の美しさは18世紀の本と比較して際立っており、絶対に売れる商品開発をした上で出板し、同時に購入者の大部分が貸本業者だったわけですから、商売として成功しないはずはありません。

18世紀までの和書が比較的地味な装訂であったのは、主たる読者たちが、ある程度の知識を持った階層の人々だったからです。所謂「絵本」と呼ばれるジャンルの本も墨摺だけ(モノクロ)のものが大部分でした。しかし、19世紀に入ると次第に読者層が広くなり、本自体も大衆的な商品価値を追求するようになり、結果的に美しい意匠が凝らされるようになります。これは江戸読本だけではなく、大衆的な読物であった草双紙や浮世絵(錦絵)などにも見られる現象です。

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さて、「読本」と呼ばれるジャンルは、本来は「読む本」という意味でした。絵を見る本(絵本)に対して、文字を読む本(小説)ということでしたが、実は前述の通り美しい意匠の装訂や口絵挿絵を備えた小説でした。ですから、単に読む本という意味ではなくなったわけです。

また、内容的にも人々の生活に則した写実的な通俗小説ではなく、中国の浪漫的(非日常的)な短編の伝奇怪異小説を翻案、つまり単なる翻訳ではなく、物語の時代設定や地名人名などを日本化するという方法に拠って書かれた短編の怪談奇談集で、18世紀の後半に流行した「前期読本」です。

その後、19世紀に入ると、稗史小説と呼ばれる『水滸伝』などの長編歴史小説と日本の歴史小説を綯い交ぜにした中長編の歴史小説が流行ります。血湧き肉躍る冒険活劇が多い「江戸読本」の代表作としては『南総里見八犬伝』などが挙げられます。この物語は、長編史伝物の傑作。我国小説史上の雄編で、98巻106冊にも乃びます。肇輯(初輯)が発行された文化11〈1814〉年以来28年間を費やし、天保13〈1842〉年に至って完結しました。

物語の発端は、里見義実の娘伏姫が妖犬八房の物類相感による気を受け懐胎し、その身の潔白を証すために自らの腹を裂きます。すると白気が立ちのぼり仁義礼智忠信孝悌の8つの玉が飛散するという、『水滸伝』の発端部の翻案によっています。この玉を所有する8人の少年たちは名字に「犬」の一字がつきます。すなわち犬塚信乃、犬川壮介、犬山道節、犬飼現八、犬田小文吾、犬村大角、犬坂毛野、犬江親兵衛で、いずれも体のどこかに牡丹ぼたん形のあざを持っています。不思議な因縁を持つこの犬士たちが邂逅し離散し、ついには安房国に集結して里見家に仕え、対管領戦の重鎮となり完全な勝利をもたらすことになるのです。

流麗な文体と相まって複雑で波乱に富む筋は、怪異や奸雄淫婦との葛藤などを織り混ぜながら、勧善懲悪の原理によって整然とした構成が与えられています。

『八犬伝』は単にテキストとして流布しただけでなく、何度も歌舞伎に脚色され上演され続けてきました。錦絵にも画題を提供し、さらにキャラクター商品として、手ぬぐい、張子や双六などあらゆるものに利用されたといいます。また『仮名読八犬伝かなよみはっけんでん』というダイジェスト合巻としても広く流布し、さらには常磐津、狂歌本、講談種、春本にまで扱われたのでした。

さらに、近現代になってからも、歌舞伎や商業演劇、映画、テレビ人形劇、アニメーションともなり、現在でも改作ものコミックスやライトノベルなどが多数出板され続けています。

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ここからは、江戸読本の意匠について、ギメ美術館に所蔵されるコレクションの中から見ていくことにしましょう。様々の彩りが施された表紙、凝った意匠の見返、一般人には読みにくい書体で書かれた序文、様々な趣向を用いた目録(目次)、そして、重ね摺りを多用した口絵や挿絵、といった具合です。どうですか、読んでみたくなりませんか?実は、本を手にとってパラパラと口絵や挿絵を眺めただけで、興味が惹かれて読みたくなるように造られているのです。

ただ、残念ながら読みたいと思っても日本語が分からない? いや、実は日本人のほとんどの人々も、これらの文字は読めないのです。江戸時代の本に使われている言葉は、現代日本語とも文法や語彙も少し異なるのですが、それ以前に、日本では毛筆で書いた連綿書体を使わなくなって久しく、これらの古い文献を読むためには、日本人にとっても学習と訓練とが不可欠になっています。

フランスでは筆記体が今でも日常的に使われているので、あまり心配ないでしょうが、アメリカでは筆記体が読めない人は多いでしょうし、ドイツでも若い世代は所謂 髭文字 フラクトウールが読めないと聞いています。世界的に見ても、ワープロの普及に拠って筆記体が使われなくなったため、学校でも教えなくなりつつあります。各国で、その文化遺産を継承するのが困難になりつつあり、困ったことです……。

いずれにしても、みなさんが江戸読本の絵を見て興味をお持ちになったとすれば、描かれている物が何か分からなくても、様々な情報を視覚的に捉えることが出来たからでしょう。おそらく、19世紀のヨーロッパ人にとっても同様だったのだと思います。日本の文化に興味を惹かれたが、日本語(の文字)は読めない。しかし、絵なら様々な情報が見て取れるし、何よりも多色摺りの美しい浮世絵や、凝った絵入本の挿絵に心惹かれて、熱心に蒐集したわけです。

そこで、最初に触れた〔読本挿絵集〕についてお話ししましょう。

結論から申し上げてしまえば、19世紀後半になって新聞や雑誌などの活字メディアが普及し始めた日本では、貸本屋の需要が次第になくなり、大量の貸本屋の蔵書が売りに出されます。ヨーロッパにおけるジャポニズムの興隆によって、浮世絵などが大量に輸出されていることを知った古書籍商や古美術商たちが、人気のあった浮世絵師達の描いた江戸読本の口絵や挿絵だけを抜き出して1冊に綴じ直してヨーロッパで売ったものであると思います。

ギメ美術館図書室には約200冊の同様の本があり、興味深いことに『画工の友』『好古文庫』などという手書きの題簽が貼られており、絵手本(絵を描くときのお手本)や意匠集(デザインブック)として作成された意図が想像できます。また、所々に捺されている貸本屋の蔵書印などから、同時期に同一業者の手によって日本で再製本されて輸出された本であることが分かります。

これだけ大量のまとまった〔読本挿絵集〕が発見されたのは初めてです。何事もきっかけは偶然です。実は、前述した『OKOMA』を拝見した時に、〔読本挿絵集〕中にあった『八丈奇談』の挿絵を示しつつ、「この本は何でしょうか」と前任司書の尾本さんに質問されたことに調べ始めた契機があったのです。

異なるタイトルの江戸読本の口絵挿絵を無秩序に合冊してあるために、資料整理をする司書の方々も扱いに困っていたわけです。同様に、ヨーロッパの各地に遺されているであろう〔読本挿絵集〕も、未整理のままで放置されている可能性があるものと思われます。ちなみに、ベルギー王室図書館で同様の本を一冊見たことがあります。

   ※

今回は、日本の19世紀の江戸読本が繋いだ仏日の文化交流の痕跡をギメ美術館図書室の和古書コレクションから辿ってみました。日本において浮世絵や絵入本がないがしろにされつつあった時、ヨーロッパの人々に拠ってその価値が発見され、大量にヨーロッパに渡って蒐集され、そして長年大切に保管されて現在も存在していることに、国や時代を超えた文化の伝搬の不思議さを感じます。

日本の和古書の魅力の一端を知っていただき、可能ならば此等の資料に興味をもってフランスに於ける日本研究に御活用いただければ幸甚と存じます。ご清聴に感謝致します。


#「江戸読本 ―ギメ東洋美術館図書室所蔵 日本19世紀伝奇小説をめぐって―
# ワークショップ「和古書の世界」 (ギメ美術館、2017年2月23日)講演原稿
# 当日投影したギメ美術館図書室蔵の和古書の画像は割愛しました。
# 熟れない日本語をフランス語に通訳をして下さったクリストフ・マルケ氏に感謝します。
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