喰へ(れ)ぬ性格
高 木  元 

不肖の惡い性格で小供の時から損ばかりしてゐる。近年益々臍曲に成つて行く己に氣付て愕然とする事が在る。研究對象として選んだ作家に影響を受けたのか。否、無意識に自分と似た人物を選んでゐたのかも知れない。孰れにしても馬琴(瀧澤+馬琴と云ふ呼び方は誤り。本名は瀧澤解、作家としてなら戲號である曲亭馬琴、著作堂等と云ふべき)は性格の惡さでは際立つてゐる。量の問題か質の問題か分からないが多くの作品を放置した儘(長命だつたせいもあり、生涯に書いた作品數は長短取混ぜて二百數十タイトルにのぼる。それも勸善懲惡のレッテルを貼られた儘で放置されてゐる感が在る)これまた大量に殘されてゐる日記や書翰を通じた傳記研究が先に進められて來た。下手糞な筆跡で事細かく延々と續く執拗な文體から彷彿とする性格の惡さ。馬琴嫌ひは近世文學研究者の中でも決して尠くない。だが誰が何と云つても好きなものは好きなのだから仕様がない。

誤解しないで頂きたいのだが彼の作品群の行間から馬琴の實體が伺へるからと云ふのではない(テキストの向かう側に実体としての作者を「讀む」のは今時流行らない)。年老てから知己に藏書估却を申入れる書面の厭味は縦令孫の爲とは云ひ乍ら讀む者を不快にせずには措かない。しかし失明した後にまで口述筆記に拠る著作を續けた背景には飯を喰ふ爲と云ふ第一義的な目的とは別途に慥に或種の快樂が存在してゐたに違ひない。聊か牽強附會の嫌ひが在るが嫌味な性格は此快樂に耽るのを疎外する者に對して研ぎ澄まされて用意されてゐたと見たら如何。

此處で翻つて吾身を見ると斯樣な文に態々舊漢字舊假名遣ひを用ゐ(實は普通の文章を斯樣に變換するフィルターを作つて通したゞけである。流石パソコンは便利、ワープロ專用機では出來ない相談だ)殊更に不要な注を振る(これも、文中に注を示すフラグを埋めこんでおくと後で前から順に番號を振つて後ろに廻すプログラムを作つて使つてゐる)

亦、「見れる」「來れる」「食べれる」等と云う奇矯な言葉が耳に入らうものなら逐一チェックしたり一限目の授業を九時三分に始めたりと果敢に吾が快樂を疎外する者と闘つてゐるではないか。然り嫌味な性格とは創られるものなのだ。決して先天的に保有してゐるわけではない。

一方嫌味には權威主義的な正統觀に對する一種の抵抗と云ふ側面も兼備へてゐる。絶對に間違つて欲しくないのであるが舊漢字舊假名遣ひ(歴史的仮名遣)が正しいとは云つてゐない。まして皆が使ふべきだ等とは微塵も思はない。勿論「見れる」「來れる」等が正しいかどうかと云ふ議論とも別次元の問題。要は耳に障ると云ひ續けたいだけなのだ。元來表現とは單なる趣味の問題に過ぎないと見做される向きが多い。だがしかし表現(文體)とは思想心情の表出方法であると同時に實は思想心情其物でもあり其故一歩も讓れないものなのである。

實は先驗的價値觀に對する抵抗は研究對象の選擇から既に始つてゐたのである。某アンケートで出身を問はれる。其選擇肢は「一、國立大 二、私立大 三、短大 四、その他」。我公立大は交ぜてもらつてゐない。專攻の方でも近世文学の下に「一、西鶴 二、近松 三、芭蕉 四、秋成 五、その他」。馬琴は無い。斯く成れば自棄糞だ。研究文獻目録の「その他」の部分にしか收録されることのないやうな重箱の隅をつつく仕事を續けやう。薄暗い書庫に潜込み飯も喰はずに終日に亙つて縦何寸横何寸と計測し續けてやる。‥‥‥斯様にして益々臍曲の種子が沈殿して行くのだ。だがしかし今假に主観的価値と個人的趣味の押付けと言ふ兩者が嫌味の基本型だとすれば性格の良い文學研究者などゝ云ふのは決して譽め言葉とは成らないとも言へるかも知れぬ。


# 「卒業文集」(91年度愛知県立大学文学部国文学科卒業生、1992/3)所収
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