『南総里見八犬伝』 ―重層化されるイメージ―
高 木   元  

不朽の名作『南総里見八犬伝』について、題名と粗筋とは知っていても、原文で読み通した方は滅多にいない。そして、この血湧き肉躍る伝奇小説『八犬伝』を載せた高校の古典教科書も見掛けない。

作者である曲亭馬琴は、滝沢馬琴と呼ばれてきたが、式亭三馬を菊地三馬、十返舎一九を重田一九と呼ばないように、俳諧師を除いて本姓と戯号を繋げる呼称は不自然。個人としての滝沢興邦おきくにとは区別して、作家としての馬琴は曲亭馬琴と呼ぶべきである。

さて、物語発端部の舞台は南房総(千葉県南部)である。しかし、八犬士が活躍する舞台の大部分が関東甲信越であることは、余り知られていない。何故なら、多くの方が原作以外の派生作を通じて八犬伝に出会っているからである。世代によるが、犬士の列伝風に語られた講談本や、歌舞伎、東映や角川の映画、要約された児童書、テレビの人形劇、スーパー歌舞伎、漫画コミック、アニメやゲームなど、実に多岐にわたる派生作が出され享受され続けてきた。知っている物語は、各自が触れた派生作品を通しての『八犬伝』でしかないのである。

いずれにしても、原作が長編である故に発端部のみを大きく扱い、八犬士の列伝は省略され、後半の対管領戦に至っては切り捨てられてしまう。また、複雑な筋は単純化され、人物関係すら替えられることが多い。つまり、原作以外は多かれ少なかれ改変されているのである。ただし、『八犬伝』ほど現在まで影響を持ち続けている古典は他に類を見ない。この現象は『八犬伝』が、歌舞伎で謂う〈世界〉を形成しているからである。不思議な運命の糸に操られた少年少女等が、絆を証する霊玉や肉体の何処かに聖痕としてのあざを持つ者を博捜し、集散離合を繰り返すという構成要素を一部でも備えてさえいれば、漫画『ドラゴンボール』『アストロ球団』『遙かなる時空と きの中で』ですら、『八犬伝』の派生作と見なすことが可能なのである。

ところで、南総安房国の里見家は実在した戦国大名であるが、その実態は良く分かっていない。残された少ない史料に基づいて、馬琴が構想した虚構世界が『南総里見八犬伝』なのである。

原作は、嘉吉元〈1441〉年4月の結城落城の際、死を決意した里見季基が、3年間の籠城戦を伴に闘った19歳の嫡子又太郎義実を諭して落ち延びさせるところから始まる。この場面で有名な楠正成と正行親子の「桜井の別れ」に言及しているが、実は典拠の『太平記』(巻16)の本文でも『史記』に見られる百里奚親子の別離の場を引いている。つまり、共に古典の引用という読者に一定の知識を要求する衒学的な歴史叙述法が用いられているのである。

この場面を音曲化した長唄「義実別れの段」の詞章は、音律に合せるためか訓み方は変更しているものの、ほぼ原作のままで「彼の楠公が、桜井の駅路より、我子の正行そ の 子 正 行 を返したる。心同じ忠魂義膽」(振仮名は原文)とある。親子離別の愁嘆場に於いて、古典引用によるイメージの重層化という方法が長唄にも継承されている。

結城から落ち延びた里見義実は滝田城主となるが、失言によって逆賊の愛妾玉梓たまずさの怨念を発動し、さらに愛犬八房に対する戯言により娘伏姫は八房に伴われて富山の奥に隠栖することになる。こうして物語の〈因〉が敷設され、発端部「伏姫物語」は舞台を富山の奥に移す。

嘉永4〈1851〉年に出された常磐津本『八犬義士誉勇猛はつけんぎしほまれのいさおし』は、3代目歌川豊国画の色摺りの口絵や挿絵が加えられた美しい仕立てで、「著読本ハ曲亭馬琴/浄瑠璃ハ立川焉馬」と角書きに見え、「大序 富山の段/二段目 大塚の段/三段目 行徳の段」となっている。2代目焉馬の序文には、常磐津の主人の依頼により「節物」として編み、正本として刊行した顛末が記されている。つまり、当初は読み物として意図されたものなのであった。嘉永5年の歌舞伎上演に際して採り入れられ、今回は明治22〈1889〉年の上演時における3代目河竹新七の改作に基づくようだ。

伏姫が八房に伴われて富山に入る経緯を述べるところから始まる。牛に乗った草刈童が受胎告知をする箇所と、8つの霊玉が中空に昇って飛び去るという趣向は中国小説『水滸伝』に基づいている。また、行文中に『平家物語』の冒頭が織り込まれているが、播本眞一『八犬伝・馬琴研究』(2010、新典社)では「建礼門院が大原にて平家一門を祈った心境に伏姫を重ねる意図が読み取れる」と指摘されているが卓見であろう。その他『万葉集』の長歌などの文辞が散りばめられており、『八犬伝』中でも屈指の重層的な表現で、実に美しい文辞が連ねられているが、美文調の本文は常磐津の詞章でも損なわれていない。

さて、飛び散った霊玉は最終的には犬士が所持することになるが、列伝の最初に登場する犬塚信乃については、結城合戦に加わった親の代から話が進められ、舞台は大塚(現在の文京区)に移る。

『八犬伝』には男女の色模様は全くと言って良いほど描かれていない。その中でも、幼い時から許婚であった犬塚信乃を慕う浜路が、自分を遺して旅に出て行く信乃に一途な想いを告げる切ない場面「浜路口説」に基づくのが、今回の新内である。新内で語られるに最適な名場面であると言えよう。封建社会に生きた女性達の切ない恋心を代弁しており、幕末から明治期にかけて多くの人々が暗唱していた。青雲の志を持った書生たちが、女色に迷って大志を失うことがないようにとの警句として読んだそうだ。

最後に筑前琵琶で語られる芳流閣の場面は、錦絵の画題として一番有名であり、原文も壮絶かつ豪快で重厚な調子の場である。高楼の屋上での剣劇というのみならず、互いに異姓の兄弟たる八犬士であることを知らない犬塚信乃と犬飼現八とが、炎天下で死闘を繰り広げるという劇的な場面である。原本には馬琴自らが下絵を描いた挿絵が入れられているが、歌舞伎の〈がんどう返し〉で見る迫力は感じにくい。つまり小説の視覚的イメージは歌舞伎に脚色された際の舞台演出に大きく影響されるようだ。『八犬伝』を主題にした錦絵や双六は役者の似顔が用いられた物が多いことからも分かるが、その大半は舞台上の芳流閣の場面に基づいたものなのである。

和漢混淆文というリズミカルな本文は、その場にふさわしい音律に乗せて語られることにより、耳から聴いただけで醸し出されるイメージが、より鮮烈な視覚的イメージを喚起するものと思われる。右のほか、『八犬伝』には、古那屋、荒芽山、対牛楼、庚申山など多くの名場面がある。原本の挿絵や歌舞伎の舞台の視覚イメージと相俟って、原文の持つ力強い文辞は、音楽が表象する感受性を喚起し、より豊穣な視覚イメージを引き出すに違いない。

(たかぎげん・千葉大学教授)


# 「『南総里見八犬伝』―重層化されるイメージ―
# (国立劇場第171回邦楽公演「『八犬伝』を聴く」パンフレット、2014年10月11日)
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