『南総里見八犬伝』の演劇性 ―享受の諸相をめぐって―
高 木   元  

日本古典文学を代表する不朽の名作『南総里見八犬伝』。題名と粗筋あらすじとは知っていても、原作を読破した方は滅多にいない。のみならず、一部分でも原文に触れたことのある方も少ないと思われる。何故なら、この血湧き肉躍る稗史小説よ み ほ ん『八犬伝』の原文が、古典の教科書に載ることはなきに等しかったからである。

さて、発端部の舞台は南房総(千葉県南部)である。しかし、八犬士が活躍する大部分は、広く関東甲信越一帯であり、舞台が京都に至ることは知られていない。それは、多くの方が、原作ではなく大きく改編されることが多い派生作を通じて『八犬伝』を知ったからである。

出会った派生作は世代に拠って様々であろうが、戦前においては八犬士の列伝風に語られた講談速記本や、少年向き児童書などが広く読まれていた。戦後になってからは歌舞伎や東映映画(1954年版5部作、1959年版3部作)、また幾度となく刊行された抄録本ダイジエスト、NHKテレビの人形劇『新八犬伝』(1973〜75年)、山田風太郎の新聞連載小説『八犬傳』(1982年8月30日から「朝日新聞」夕刊に359回に亙る)、角川映画『里見八犬伝』(深作欣二監督、真田広之・薬師丸ひろ子主演、1983年)3代目市川猿之助(現猿翁)のスーパー歌舞伎『八犬伝』(横内謙介脚本、1993初演、新橋演舞場)などが流行った。

一方、幾多の漫画コミック版が出されたが、大部分は改作リメイク外伝スピンオフ。ただし、OVAの原作から出発した碧也あおまたぴんく作『八犬伝』全15巻(角川書店、1989〜2002年)は比較的原作に忠実であった。近年ではメディアミックス展開が進み、ライトノベルや漫画のみならずアニメや実写版映画、宝塚歌劇や美青年イ ケ メ ン俳優を集めた商業演劇、テレビドラマ、歌謡ショー、アドベンチャー乙女ゲームなど、実に多岐にわたるメディアで派生作が出され享受され続けてきたのである。

気が付けば、『八犬伝』ほど現在まで影響力を保持している古典作品は他に類例を見ない。これは〈聖痕ステイグマとしてのあざと霊玉とを持つ八人(程)の少年(少女)達がしき運命のもと邂逅離散して悪と闘う〉という枠組み、すなわち〈世界〉としての「八犬伝」が現在に於いても機能しているからであろう。

『八犬伝』原作は、初版本に基づく翻刻『南総里見八犬伝』(新潮日本古典集成別巻、全12巻、2003〜4年)が現在得られる最善のテキストである。一読すれば知れる調子の高い美文調は『太平記』などに拠るものであるが、まず近現代小説では出会う事のできない格調を備えている。〈近世軍記〉とでも称すべき文飾に富んだ『八犬伝』であるが、叙情的な場面で綴られる七五調の和漢混淆文は浄瑠璃風の妙辞だとも言い得よう。文体のみではなく『八犬伝』に見られる演劇性について、若き馬琴が浄瑠璃をよく観て(読んで)いたこともあり、多くの趣向や挿話エピソードは浄瑠璃に基づく(河合眞澄『近世文学の交流 ―演劇と小説―』)

文化期〈1804〜18〉合巻ごうかんは〈紙上歌舞伎〉とも称され、絵組も舞台を彷彿とさせ、役者似顔が多用された歌舞伎趣味の横溢する草双紙メ デ ィ アであった。合巻に対してより格調の高い知的小説であった読本よみほんは、合巻の歌舞伎趣味と一線を劃すものと考えられてきたが、意外にも『八犬伝』には多くの歌舞伎的趣向が取り込まれている。

例えば、勇壮な屋根上にての決闘場面〈芳流閣〉から、行徳入江でのだんまり模様を経て〈古那屋〉に至る展開は、あたかも世話場の一幕のように仕組し ぐまれている。行徳の旅人宿である古那屋の一部屋に出入りする人々に拠る一場のドラマは、下座の合方を思わせる奥の間から聞こえる尺八『鶴の巣籠』の哀切な調べ、愛想づかしの離縁、余計な説明を省いた掛け合い台詞に拠る緊迫した場面、小文吾が堪忍できずに親の戒めを破って刀を抜く趣向、祖父の代からの悪因縁に拠り犬塚信乃の身代わりと成って死ぬという本心を吐露する房八のもどりなど、典型的な歌舞伎の手法が詰め込まれているのである。

この原作の持つ演劇性に当時の人々が気付かないはずがない。原作が完結する以前から歌舞伎に仕組まれていたが、馬琴歿後4年目の嘉永5〈1852〉年に江戸の市村座で上演された『里見八犬伝』は、3代目桜田治助に拠る初編から8編までの新脚色で大当りし、翌嘉永6年に7編から9編までが上演された。その背景として『八犬伝』を合巻化した笠亭仙果作『雪梅芳譚犬の草紙』(弘化5〈1848〉年〜、3代豊国画、蔦屋吉蔵板)2代目春水作『仮名読八犬伝』(弘化5年〜、国芳画、丁子屋平兵衛板)とが、役者似顔を用いて競作状態になって流行していたことがある(向井信夫『江戸文芸叢話』)

この嘉永5年の『八犬伝』大当りは、実に多くの派生作を生み出した。まず、嘉永5年秋には、蔦屋吉蔵に拠って美麗な揃物である見立て役者大首絵おおくびえの大錦50枚続き『八犬伝犬の草紙』が出され、後に双六にも仕立てられた。

さらに、正本写しようほんうつしと呼ばれる歌舞伎舞台を草双紙化した合巻『今様八犬伝』全6編(嘉永5〜6 〈1852〜3〉年、2代目春水作、国芳画、蔦屋吉蔵・山口屋藤兵衛合板)が出され、この狂言の仕組みを知る事が出来る。

この脚色では配役を考慮してか犬坂毛野を狂言回しとしている。原作の発端部である伏姫物語の前に毛野の出生譚を出した上で「大塚の段」から始められている。与四郎犬が猫の紀二郎を喰い殺すこと、蟇六等による与四郎の惨殺、番作の切腹から村雨丸の譲渡、信乃に対する浜路のクドキ、網乾左母二郎の横恋慕、簸上宮六と浜路の婚礼、円塚山での浜路と犬山道節兄妹の邂逅、額藏(犬川荘助)の仇討ちまでの一連の話が、原作に拘わらず順不同に、場面毎に登場人物と事件とが集約されて展開する。続く「富山の段」では、冒頭で伏姫の回想として八房と共に冨山で隠棲する顛末が語られ、金碗大輔を八房の霊が人間として姿を現したものとし、八つの玉が飛散するまで筋を運ぶと、これらの発端の一切は毛野の夢だったとする。

「滸我の館の段」では、生き延びていた山下定包が勅使として乗り込み村雨丸を奪おうとするなど、お家騒動風に改作。「古那屋の段」は比較的原話に近い。原作自体が古那屋の一室という一場面で展開する歌舞伎的な設定であったからであろう。

次の「石浜屋の段」は対牛楼に基づくが大きく改編されている。毛野の父親である粟飯原首を殺害した籠山頼連・馬加大記が山下定包と麻呂と結託して里見家を滅ぼす計略を持ち、小文吾の末の妹を鴎尻並四郎に誘拐されて遊里に売られた花紫はなむらさきとし、里見義成とその許嫁である四阿あずまやを登場させ、舩虫が妻琴つまごとという白拍子として小文吾に敵対するなど、原作に存在しない登場人物を設定して見せ場を創出している。すべて同じ場面で可能な限り多くの物語を展開させるための工夫である。また、狂言で要求される巨悪として山下定包が描かれるが、原話では発端部で討たれてしまう端敵であるため、延命させて里見家崩壊の謀計ぼうけいを企てるなどの改変が必要なのであった。

近年は菊五郎劇団が渥美清太郎脚本による上演をしている。一方、昭和50〈1975〉年の復活上演3代目猿之助による改訂・補綴)は、さらに平成14〈2002〉年に石川耕士の手により改訂されるが、此方は過去の様々な仕組みを意欲的に取り入れた嘉永5年の演出に近いものであった。

残念ながら嘉永5年版の台帳は残存していないようであるが、右のように正本写が残存しているので、これを活かした脚色で、若い世代の役者イケメン達が八犬士を演ずる現代的な狂言を観たいと思うのは無いもの強請ねだりであろうか。

(たかぎげん・千葉大学教授)  


# 「『南総里見八犬伝』の演劇性―享受の諸相をめぐって―
# (国立劇場 第293回歌舞伎公演 通し狂言『南總里見八犬傳』パンフレット、2015年1月3日)
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